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【梅園魚品図正】(43) 須々岐(すずき)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正 巻1

須々岐

漢名 鱸魚
『綱目』俗に、の字を用ゆ。雲州にて ヂウハン、セイゴ、スゝキ
フツコ 東陽。

鱸は、下総銚子の産をよしとす。然ども、武州角田川のしもに養ふ時は、水の清にこゑ [■は月+曳]、潮のしをからざるに■ [阝+左+] 化してついに善美盡す。肉は即、玉鱠にし、亦、洗ひすゝきとして、夏月の珍 是にすぐる者なし。唐にも呉の淞江ずにゆうの産を天下の隹珍す。或は、四腮しさい魚と呼。松江の者、其えら四牧なり。

紀伊 松江、東松江、中松江、西松江あり。紀の川の湊口より西の方夲の脇■ [辶+右] の松原を云。旧名 和田前の松と云。東湖とも。和田浦とも云。松江の濱、此地の風景北は峨々たる青山にして、南は漂々たる蒼海、松江の松都城の雲外にわびへ二子の嶌渚波際に泻む。

阿波、土佐二国は、一刷の翠黛なり。鱸魚を名産とす。甚美隹にしてをもんず。雲州の松江、丹後の松江、同 名して、各鱸の名所にして是本邦天下の甲品也。雲州の東都にことなるは冬月を珍とす。『本草』川魚類載。

※ 「雲州」は、出雲国いずものくに
※ 「武州」は、武蔵国むさしのくに
※ 「淞江ずにゆう」は、川の名前。呉淞江ごしょうこう
※ 「翠黛」は、緑にかすんで見える山の色のこと。翠黛すいたい

甲午八月廿日 真寫

鱸 スゝキ

   ル 二三尺  ナルニ  ヲ 鱸 スゝキと云。

 ノ  ル  ニ  ヲ フツコと云。
鱸の數寸小なる者を世伊古セイゴと云。

『大和本草』 小鱸セイゴは松江なるべし。中華松江の鱸は、其大さ日本の小鱸の如しと云。中華の鱸は小なり。『本草』載所の長僅に數寸あり云々。

『産物志』 ■魚 セイゴ [■は魚+既+且]
『料理綱目』 鮬 セイゴ
『和名鈔』云 セイ  『唐韻』云 婢妾魚 『漢語抄』云 世比
 テ  ヲ   ト 。不 詳。
『和名鈔』に鮬。鱸を分け出す。皆一物也。

※ 「數寸」は、数寸。
※ 「不 詳」は、つまびらかならず。

『崔禹錫食経』云  鱸 須々木
 テ  アキト  者也。『四聲字苑』  テ サケ 而 大青色云々。

『源平盛衰記』 清盛、伊勢の國阿野々津より舩にて熊野え参られけるに、大なる鱸の舩えをどり入たりけるは、人々申けるは、昔周の武王の舩にこそ白魚ハクギヨ(予曰、白魚はミゴイ也、シラ魚にあらず)は、跳入たると聞ゆ。いかにも是は觀現の御霊瑞と覺候。精進決齋の恭 ● なれども、自ら調味して家の子郎 ● にも食せ玉ひけると略。

※ 「清盛、伊勢の國阿野々津より舩にて熊野え参られけるに…」は、『平家物語』の第一巻「すずき」にも記されるエピソードです。
※ 「精進決齋」は、精進潔斎しょうじんけっさい。酒や肉食をせず、ひたすら修行に専念すること。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『平家物語 12巻 [1])』
船に飛び込んできた鱸を自ら調理する平清盛

紀伊國海士あま郡黒江村
黒牛泻 黒牛海 黒江の礒
 『夫木集』
   黒牛泻 漕つる海人の とも舩は
     鱸釣にや 浪もいつらん    顕仲

干泻浦
『玉葉』
   暮るゝ間に 鱸釣るらし 夕汐の
     干泻の浦の 海士の袖見ゆ   為家

※ 「黒牛泻」は、黒牛潟くろうしがた。和歌山の黒江湾のこと。黒牛海とも呼ばれたそうです。
※ 「礒」は、いそ



筆者注 『梅園魚品図正』は、江戸時代後期の博物家、毛利梅園による魚図鑑です。説明文書は漢文体が中心でのためパソコンで表示できない漢字が多く、漢文の返り点と送りがあります。読みやすさを考え、パソコンで表示できない漢字は □ とし、名称の場合はできるだけ [■は〇+〇] の形で示すようにしました。

また、漢文の返り点と送りはカタカナと漢数字、振り仮名と送り仮名はひらがなで記載しています。
この作品に引用されている文献については、こちらの note を参照してください。 → 【梅園魚品図正】文献まとめ

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