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読書メモ「政治学者、PTA会長になる」

読書メモ第2弾です。今回は、

「政治学者、PTA会長になる」(岡田憲治著 毎日新聞出版)です。

別に、PTA運営に携わりたくて参考になった、ということではありません。「絶対おかしいよな、これって」と思うのになかなか変えられないことに直面した時、「こうした方が絶対正しいでしょ」と確信を持っていることを理解してもらえない時、そういう時に何を考えるべきかの参考になる本でした。

ある日突然、PTA会長に推薦された政治学者

ある日突然、PTA会長に推薦されてしまったオカケンこと岡田憲治先生(著者)。「珍種の男性」が現れるだけで、古くて、今を生きる保護者が近づきにくくなっている微妙なPTAを変えることができる」と徐々に外堀を埋められ、「半径10メートルのミンシュシュギこそがオレの政治学だ!なんて言っているんだからぴったりじゃん!」とのツレアイの言葉が決定打になってPTA会長を引き受けます。

非効率なベルマーク活動だが

僕はまさにPTAに近づきにくい方の保護者で、その運営がどうなっているかは伝聞でしか知らないのですが、例えば「ベルマーク」を処理する活動は著者と同じように思っていました。

保護者が学校に集まってマヨネーズのビニールパッケージとかにプリントされたベルマークをハサミでカットして台紙に貼り付ける。何千枚もやって年間に10万円とか。効率悪すぎ。

他にもいろいろな事例が出てきます。例えば異動する教員の送別会。やるのはいいのだけど、新年度開始後にやるので、先生方は忙しい中わざわざ来ないとならないし、本当にお世話になった人とは会えないし、知らない人が「お世話になりました」とか言っているという訳分からない状態とか。

しかし、彼が関わる前からも「進めよう!スリム化!」を活動目標にしていたはずが、スリム化は全然進みません。変えようとすると大きな抵抗にあい、「PTAを壊したいのですか?」と言われてしまう始末。PTA内外の活動において「自己紹介も目も合わせてもくれない」という経験をします。

著者についてすごいなと思うのは、ここで「理解できない、ありえない!」で終わってしまうのではなく、どうしてそうなっているのかを解きほぐして行こうとし続けたことです。そうして例えば次のようなことに気付きます。

やると決まっていることを粛々とこなし、極限まで制度を高めてコンプリートするような人は、自分に期待されている仕事を、リーダーという役割を、僕の考えているものとはまったく違うものだと考えているのだ。僕の頭の中では、それはリーダーではない。「オペレータ−」だ。(中略)
僕は、「能力」を活かす前提の異なる人たちに、自分の前提に立って、ひたすら「リーダーなんだから」、「保護者の代表なのだから」とものを言い、考えていたのだ。

無駄に見えたベルマーク活動にも意義があった

また、全く無駄なように見えたベルマーク活動にも意義があったことに気付きます。その細々とした作業をやりながら愚痴のこぼし合いやってチョー盛り上がっている、ガス抜きとしての意味があると。スリム化のために削るべきぜい肉ではないと。そうやってあらゆる不合理に理由が見えて来ます。

これに対して「だから全てそのままで良いと言うのか?」という反論があると思います。もちろん抵抗が大きくとも変えなければならないものもあります。しかし、そういうものこそ、本当に変えるために、なぜ変化への抵抗が起きているのか、つまりその後ろにどんなニーズがあるのかをひもとく必要があります。そして、そのニーズを違う形で満たす方法を探りながら変えていく訳です。

その掘り下げが、実戦の中で深いところまで行われている様子を見られたのが、自分にとって最大の収穫でした。そして、そこから細かいところまで具体策を考えて実行していくところを見られたことが。まさに経験学習サイクルを回している様子を見せてもらった感じです。

これらの成果としてPTAの活動が徐々に良くなって行きます。みんながやめたいと思っていたことが廃止され、無理なやり方が減り、役員内の関係性は改善され、新たな試みも起き、PTA役員をやろうかなと思う人も増えて行きます。

良い方向に向かう中でも紆余曲折あるのですが、それでも「よし、これから」と思っていた矢先に、コロナ禍で一斉休校という事態になります。PTAの通常の活動もできなくなってしまうのですが、だからこそ0から見直しができる。また今こそ必要なものを考えて活動できる、と動いて行きます。

PTAの原点は弱い立場の教員を応援すること

この一斉休校の頃は僕も自分の子どもたちの状況を見て「どうして公立の学校はこんなに対応が鈍いんだろう」と思っていました。これについて著者は次のように語っています。

僕たちPTA役員たちは、こういう理不尽かつ二周回遅れのような教員の仕事の環境を知るにつけ、もうこれはクレームではなく、徹底的に教員を助けてやらねばならないと確信するようになった。
...PTAは...弱い立場に追い込まれている教員を応援するためにあるのだという原点を確認する契機を、コロナはもたらしてくれたのだ。

100%賛成ですが、その劣悪な環境を作っているかのように見える教育委員会の人たちも、そうしたくてしているわけではなく、それしかできなくなってしまうような構造的な原因があるように思います。
 
そして、こういう問題は他にもたくさんあります。そこでただ誰かを責めるのか、それとも「なぜそうなっているのか」を人に寄り添いながら考えて行くのかで、問題解決の可能性も、社会の生きやすさ(生きづらさ)も大きく変わるように思います。

(早稲田大学グローバルエデュケーションセンター 高橋俊之)


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