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1980年代の田舎の姿

中学生・高校生・大学生だったボク

1980年代には、ボクは首都圏に引っ越していたので、じっちゃんの様子見がてら、一人で鴨川に帰省していました。

普段は部活で忙しかったりするので、夏のお盆や年末に一泊か二泊で帰省するといった頻度でした。

別にサーフィンをするわけでも、海釣りをするわけでもないので、鴨川に帰っても特にすることもなく、駅前の鴨川書店で買ってきた本を読んで過ごしていたことを覚えています。

夏はまだにぎわいを見せていた鴨川ですが、年末に帰ると、少し寂しい感じを受けるようになってきました。

それでも商店街は店をしっかりと開けていて、地元の人たちも買い物を商店街で楽しんでいました。

人口が減り始める

1980年代の鴨川で感じた変化は、2つあります。

さきほどの、なんとなく寂しさを感じるようになってきたということと、自動車の存在感が大きくなったことです。

統計の数値で振り返ると、鴨川市の人口は、1970年代はなんとか横ばいを保っていたものの、1980年代に入ってからは、徐々に減少に転じていました。

観光客や海水浴客で賑わう時期は良いのですが、閑散期の鴨川は地元の人たちだけになるので、少しずつ人口が減少する中で、街にもどこか寂しさが漂うようになったのだと思います。

車が主流に

1970年、日本全国で自家用車の所有台数は720万台。

1980年には、2,270万台。

1990年には、3,290万台。

1970年から1980年の10年で、ざっと3倍になるという、ものすごい勢いで自動車の時代がやってきたのです。

そして1980年代も引き続き、増加の一途をたどっていました。

そう言うボクも、大学生になってからは車で鴨川に帰ることが多くなりました。

1970年代に鴨川バイパスが開通していましたが、旧道だけでは自動車の増加に追いつけていなかったと思います。

東京湾に面した君津から鴨川に抜ける途中に房総スカイラインが完成したのが1979年。

1980年代は、自家用車での移動が主流となっていった時代です。


バブルへ向かって

1980年代後半、日本はバブル景気の時代でした。

南房総にもその影響はあって、いくつものリゾートマンションが建設されました。

まわりが一階建てか二階建ての民家や商店、あるいは林ばかりなので、にょっきりとそびえ立つマンションには、かなりの違和感を感じていたことを覚えています。

いま思えば、こうしたマンションができたことで地元の経済にどれくらいのプラスを与えたのかは疑問です。

もちろん、マンションに永住を決めた人たちもいたでしょう。

しかしバブル時代であることを考えると、投機的な目的で購入した人たちも多かったのではないでしょうか。

その後、バブルは崩壊。それから30年が経って、現在はそこそこの広さの物件でも、数百万円で売りに出されています。

そんなバブル景気の影響があったのも、1980年代でした。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。