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嫌われた『第三の男』

 妙に執着するものがある。
 コンビニで売っているアンソロジー・コミックがそうで、つい手が伸びてしまう。藤子不二雄Aの半自伝漫画『まんが道』は、中央公論社の愛蔵版、小学館から近年出た単行本も手元にあるというのに、コンビニ本も揃えてしまった。
 『まんが道』から受けた影響は、はっきりしている。映画である。藤子不二雄(安孫子素雄と藤本弘)をモデルとする満賀道雄と才野茂は、実によく映画を観る。『駅馬車』『遊星よりの物体X』『大いなる幻影』『ヴェラクルス』等々。2人が映画を観た後に語りあう場面も度々登場する。筆者が10歳に満たない頃に初めて読んだときは、未知の映画ばかりだったが、数年後にテレビ放送やレンタルビデオで観るときに役立った。いわば最初の映画ガイドブックが『まんが道』だったわけ。
 そのなかでも印象深いのは、地元新聞に就職した満賀が映画担当になって試写で観る日本初公開の『第三の男』。オールタイム・ベストでは必ず上位に入るキャロル・リード監督の名作だが、1949年に製作され、日本公開は1952年だった。家に帰っても映画が頭から離れない満賀は、ついには印象的な場面をイラストに描いて相棒の才野に見せる。さらに少年誌『冒険王』で始まる連載漫画『四万年漂流』の初回にも、有名な下水道の追跡シーンをアレンジして取り入れるのだから、ここまでダメ押しされると観たくなる。
 かくして中学生のとき、NHKの「世界名画劇場」という筋金入りの〈名作〉を放送する枠で念願の対面を果たし、噂に違わぬ作品と感じ入った。
 それからもビデオやDVDで何度か観ていたが、久々に観たいと思ったのは、『第三の男 4Kデジタル修復版』というブルーレイが発売されると知ったからで、なにぶん古い映画ということもあって、モウロウとした画質でしか観たことがない。
 というわけで、十数年ぶりに観たが、いやー見事なもんです。今回、改めて思ったのが、

 1、舞台は戦後のゴタゴタが続く、4か国共同管理のウィーン。同じ街の中でも米英仏区で追われる者がソ連区では匿うことが出来き、その逆もある。この舞台設定が活きている。
 2、オーソン・ウェルズが演じる死んだはずのハリー・ライムが初めて画面に姿を現すのは1時間を過ぎたあたり(全体は105分)。彼の出演シーンは10分に満たないが、冒頭から彼の話のみで進んでいくので全編にわたって出ずっぱりの印象を残す。
 3、夜の街路で扉の影に立つ男を、ジョセフ・コットンの演じるホリー・マーチンスが誰何すると、不意に向かいの建物の上階の明かりが灯って、ハリー・ライムの顔が浮かび上がる。キャメラがグッと寄っていくと不敵な笑みを浮かべる。その後は有名な観覧車での2人の対話と、下水道での対決である。ウェルズは見せ場中の見せ場にだけ顔を出す。

 ――といったあたりで、アントン・カラスのチターが実に効果的に使われているだとか、光と影を凝りに凝った構図で見せる撮影がデジタル修復でいっそう美しく映し出されるところに感心するのは言うまでもない。しかし、久々に観ると、この映画が嫌われる理由もわかってしまう。「まさか!」と思われるかもしれないが、日本では、公開から30年も過ぎると、あまりにも神格化されたことへの反発からか、次のような声も聞かれるようになった。

 淀川 (承前)ぼくはああいう気取った映画は嫌いなの。
 蓮實 ええ、ぼくも大嫌いですね。
 淀川 とにかく「映画とはこれです」って感じで見せるでしょ。
 山田 やたらにキャメラを斜めにして撮ったり。
 淀川 影の使い方とかね。それで、もうみんな参っちゃったのね。「第三の男」、ああ神様、みたいになってね。馬鹿にするなっていうの(笑)。
 蓮實 ほんと、馬鹿にするなですよね(笑)。
 淀川 しつこいんだもんね。ヒッチコックなんかのほうが、もっとずっとうまいよね、サササッと見せるよね。
 
『映画となると話はどこからでも始まる』(淀川長治・蓮實重彦・山田宏一、勁文社)

 最初に読んだときは、悪口の度が過ぎると思ったが、その後、一理あると思うようになったのは、再見するたびに気取りや、しつこさを感じたせいでもある。よく知られたラストシーンも、絵画的な構図が決まりすぎて窮屈である(そこから逆算して、全編これ名場面集のごとき見せ方になったのだと思えば、そう悪く言う気はしないが)。その意味で、映画評論家の双葉十三郎氏が『ぼくの採点表Ⅰ』(トパーズ・プレス)で、絶賛しつつも〈サスペンスを加味した雰囲気劇〉と評したのは、実に上手い表現だと思う。
 それにしても、映画をそれなりに観たあとに『第三の男』を初めて観たとしたら、小学生のときに『まんが道』で知った直後に観たような感動を持って名作と思えたかどうか。たぶん筆者は、同じリード監督でも『ミュンヘンへの夜行列車』の方が良いとか言ってそうな気がする(事実そうなのだが)。
 教訓――小説も映画も〈名作〉と呼ばれるものは、若いうちに吸収した方が良い。


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