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奈落雑記(note式)

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探偵小説作家・小酒井不木のことが大好きでいろいろ調べたことを書いてます。
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記事一覧

やさしい屍蝋のつくりかた

江戸川乱歩・小酒井不木往復書簡集『子不語の夢』に、「屍蝋」形成についての興味深いやり取りが見られます。といっても残念ながら、乱歩からの問い合わせの手紙は残っておらず、読めるのは不木からの返事だけなのですが。

首を屍蝋化することは困難ですが脚や腕は雑作ないやうです。 水につけてから、出して乾せば丁度、ドラツグの看板位のものは出来ます。 (小酒井不木書簡 大正14年3月14日)

外部が

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『ハイネ評伝』

 小酒井不木の日記などを眺めていると、ドイツの詩人ハイネを愛読していたことがうかがわれます。

 で、今回古書目録で見つけたのが藤浪由之(水処)著『ハイネ評伝』(洛陽堂・大正5年)。出版社の洛陽堂は前年(大正4年)に不木の処女出版『生命神秘論』を出している版元です。そんな接点がある上、この『ハイネ評伝』には、小酒井不木の「ハイネ評伝の後に」が収録されておりました。
 また、はしがきには「この小冊の

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国立国会図書館アーカイブより

こんな記事を発見。どちらも国立公文書館に保管されている文書です。

東北帝国大学医学部助教授小酒井光次仏国巴里ニ於ケル疾病及死亡原因ノ名称及統計形式一定ニ関スル万国委員会ヘ委員トシテ参列被仰付ノ件 公文書>*内閣・総理府>太政官・内閣関係>第五類 任免裁可書>任免裁可書・大正九年・任免巻三十三 作成部局 内閣 年月日 大正9年09月13日

東北帝国大学教授小酒井光次休職ノ件 公文書>

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座談会「憶い出の不如丘と不木」

『医家芸術』昭和48年2月号の話題です。

座談会「憶い出の不如丘と不木」
(出席者)
正木良一(正木不如丘氏実兄)
小酒井望(小酒井不木氏長男・順天堂医院長)
前田友助(前田外科病院長)
中島河太郎(日本推理作家協会常任理事)
(司会)
原三郎(日本医科芸術クラブ副委員長)
椿八郎(日本医科芸術クラブ編集委員)

昭和47年12月18日 於原宿南国酒家

 正木不如丘と小酒井不木、それぞれの遺族

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「先生・女性・句碑」岡戸武平

『医家芸術』昭和48年2月号の話題。

 もう小酒井不木の回想など飽きるほど書いている岡戸武平、折角だからまだ書いていなかった事を、というわけでしょう、不木の艶聞を出してきました。ひどい弟子もいるもので。
 昭和2年頃、ある女性が喫茶店を開きたいと言っているが手頃な店は売りに出ていないか、と不木から相談された岡戸武平、ちょうど知人の店が売りに出ていたのを紹介すると、不木は店の買収費を自分の懐から出

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新吉、電波に乗る

 半七や佐七や若さま侍らがめざましい活躍を見せる捕物帳世界において、質量ともにマイナー感著しい大倉燁子の「新吉捕物帳」であるが、何と岡っ引きの新吉、ラジオドラマに出演していた事がこの度判明した。
 ソースはこちら。「配役宝典 in WEB」(公開終了)。
 こちらのNHKラジオドラマ「灰色の部屋」放送リストを見ると、大倉原作の「お化け枇杷」という作品が放送されているのである。以下情報は当該ページよ

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実話系「痴人の復讐」

 先日暇なので『治療及処方』なんて雑誌を眺めていたら、こんな記事に出くわした。

次に実験眼科雜誌に出でたる某氏の例なるが、「トラホーム」手術に際し前と同様に誤て二%アトロピン水半筒を注射したり、直に発見し乱切圧搾数十回、液の排除に勉めたりしも十五分後より中毒症状現はれ、百方処置の結果漸く恢復を得たりと云ふ。 (「眼科的処置の過誤に由る二三の失態」医学博士小口忠太・大正9年11月号)

 こ

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糞便と探偵小説

「探偵小説の題材」 初出:『ワールド』昭和2年9月号

 チフスと検便の話が探偵小説の材料にぴったり、という小酒井不木のセンスに肯くか、それとも笑うかは読者それぞれの判断にお任せします。私は笑いました。

 さて、便の話つながりで思い出したのですが(笑)、小酒井不木の創作「呪はれの家」では、警察による便所の捜索が重大な手がかりの発見に大きく貢献します。不木は何も便所の描写がしたくて便所を出した訳で

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『全力投球―武平半生記―』(第七話・未完)

小酒井不木全集の校正は、共同印刷の校正室へ出張してすることになっている。(中略)仕事は改造社員のMさんが重要な点は念を入れてやってくれるので、私は誤植を正したり、組違いを指摘すればよかった。その他、この全集の他に例を見ない点は、その作品の脱稿日並に枚数をこくめいに入れたことで、これは作者がこくめいに日記しておいてくれたおかげである。
 この全集は始め八巻で完結予定であったところ、巻を追って購

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『全力投球―武平半生記―』(第六話)

 森下雨村の「では博文館へ拾ってやろうか」の一言で、「ここに私の運命に思いがけない道の開けるきッかけとなった」岡戸武平ですが、彼には博文館に入社するより先に、東京でやらなくてはいけない仕事がありました。江戸川乱歩の『探偵小説四十年』にこんな風に書いてあります。

岡戸武平君は昔私が大阪時事新報に半年ほど入社していたとき、机を並べた先輩で、年齢は私より五六歳下だったけれども、記者としては教えを

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『全力投球―武平半生記―』(第五話)

 まずは「東京朝日新聞」に載った江戸川乱歩の談話など。この人も小酒井不木の急逝で各方面からコメントを求められ多忙を極めた一人です。

ぞつとする陰惨味 江戸川乱歩氏談
「小酒井さんは自身が病身であつたためでもあらうが作品はぞつとするやうな陰惨なものが多かつた、博士独特の鋭い筆力で種々の著述がある、中でも小説『恋愛曲線』や『疑問の黒わく』等は代表的傑作であるが伊井、河合一座が上演した『龍

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『全力投球―武平半生記―』(第四話)

 江戸川乱歩が小酒井不木の事を終生「先生」と呼んでいた、と岡戸武平は書いていますが、岡戸自身にとっても、小酒井不木は「先生」でした。

『闘病術』の「著者」は先に述べた通り、厳密に言うと岡戸武平ですが、小酒井不木が最後の最後まで「闘病術」の実践者であった事は間違いありません。そんな小酒井不木の生き方を身近でずっと眺めていた岡戸にとって、小酒井不木は確かに「先生」だったのでしょう。岡戸の書いた追悼文

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『全力投球―武平半生記―』(第三話)

 小酒井不木からの月給のお陰で生活も安定した岡戸武平、ちょうどその頃恋人のT子が療養所を退所させられる事になり、それを機に結婚します。仲田というところに一軒家を借り、使用済みコンドームを川に流して処分したり、隣家の年増の襲撃をかろうじて避けたりしながらも、平穏な日々を過ごしていました。が、そこに悲報が舞い込みます。

昭和四年四月一日の早朝である。門の格子戸を激しく叩く人がある。その音に眼覚

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『全力投球―武平半生記―』(第二話)

(これまでのあらすじ)

明治30年12月31日 岡戸武平誕生。
幼児時代(3~4歳?) 近所の女児の性器を初めて見る。
小学校入学前後(5~6歳?) 初めて春画を見る。
同時期 叔母の寝姿に性的好奇心を覚える。
明治45年頃(14歳) 高等科二年生。友人に手淫のレクチャーを受ける。
同年4月 小学教員として奉職。尋常4年生を受け持つ。
大正3年頃(16歳) 受け持ちの女生徒の姉(かつての同窓生)

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