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やさしい屍蝋のつくりかた
江戸川乱歩・小酒井不木往復書簡集『子不語の夢』に、「屍蝋」形成についての興味深いやり取りが見られます。といっても残念ながら、乱歩からの問い合わせの手紙は残っておらず、読めるのは不木からの返事だけなのですが。
首を屍蝋化することは困難ですが脚や腕は雑作ないやうです。 水につけてから、出して乾せば丁度、ドラツグの看板位のものは出来ます。 (小酒井不木書簡 大正14年3月14日)
外部が
国立国会図書館アーカイブより
こんな記事を発見。どちらも国立公文書館に保管されている文書です。
東北帝国大学医学部助教授小酒井光次仏国巴里ニ於ケル疾病及死亡原因ノ名称及統計形式一定ニ関スル万国委員会ヘ委員トシテ参列被仰付ノ件 公文書>*内閣・総理府>太政官・内閣関係>第五類 任免裁可書>任免裁可書・大正九年・任免巻三十三 作成部局 内閣 年月日 大正9年09月13日
東北帝国大学教授小酒井光次休職ノ件 公文書>
座談会「憶い出の不如丘と不木」
『医家芸術』昭和48年2月号の話題です。
座談会「憶い出の不如丘と不木」
(出席者)
正木良一(正木不如丘氏実兄)
小酒井望(小酒井不木氏長男・順天堂医院長)
前田友助(前田外科病院長)
中島河太郎(日本推理作家協会常任理事)
(司会)
原三郎(日本医科芸術クラブ副委員長)
椿八郎(日本医科芸術クラブ編集委員)
昭和47年12月18日 於原宿南国酒家
正木不如丘と小酒井不木、それぞれの遺族
「先生・女性・句碑」岡戸武平
『医家芸術』昭和48年2月号の話題。
もう小酒井不木の回想など飽きるほど書いている岡戸武平、折角だからまだ書いていなかった事を、というわけでしょう、不木の艶聞を出してきました。ひどい弟子もいるもので。
昭和2年頃、ある女性が喫茶店を開きたいと言っているが手頃な店は売りに出ていないか、と不木から相談された岡戸武平、ちょうど知人の店が売りに出ていたのを紹介すると、不木は店の買収費を自分の懐から出
実話系「痴人の復讐」
先日暇なので『治療及処方』なんて雑誌を眺めていたら、こんな記事に出くわした。
次に実験眼科雜誌に出でたる某氏の例なるが、「トラホーム」手術に際し前と同様に誤て二%アトロピン水半筒を注射したり、直に発見し乱切圧搾数十回、液の排除に勉めたりしも十五分後より中毒症状現はれ、百方処置の結果漸く恢復を得たりと云ふ。 (「眼科的処置の過誤に由る二三の失態」医学博士小口忠太・大正9年11月号)
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