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餃子大好き小池さん

6月25日は目八所属の同人誌「奎」前代表、小池康生さんの一周忌でした。
一度しかお会いできなかったままだったので、今も何処かに居て、お会いできていないだけのように思える。
マァこれは小池さんに限らず全ての先に行ってしまった友人知人にも思ってきたことだけれど。

二冊の句集や奎0号、或いは辞世の句からではなく、敢えて我儘に私が参加した2号から一句を私のために。

定型の中の自由やゼリー揺るる 小池康生

初めてにして唯一の句会で人見知りと緊張で部屋に入った私に「やあ、やっと会えましたね」と微笑みかけて下さったことが忘れられません。

その時の句会では仮屋編集長(現代表)とともに私の句を取って下さったのは、今思えば私の句だとわかってたような気もします。

小池さんは先生や師匠じゃあ無かったから、私が教わったのは連作は季節の順に並べるのか基本ということと、やっちゃいけないことなんて無い、という二つ。

18号で私の句を二句引いて「俳句に人生訓的なことは好まれないが、令和の世にもこういうことを言い続ける作者にわたしは共感する。いまだ、こういうことを書き続ける人が奎にいることが嬉しい」と書いて下さったことのどれだけ嬉しく励まされたことか。
故に我儘に、もう句を読んで貰えないことを思う。

だからといって縛られることはない。
奎にこの先もずうっといるとは限らない。
俳句だってわからない。
一緒に食べた日本一の餃子も二度と食べれないままかもしれない。

私は追悼の句を出さなかった。
何句も作ってはいたし、今も作るときがある。
そして一周忌のその日は作らなかった。
作ってもここに載せなかっただろう。

その日もいつもと特に変わらず、日中そのことを考えてたわけでもない。
そして何時も通りその日も早くに寝た。
翌日も何時も通りに4時に起きてパートに行った。
俳句もできた、句集も読んだりした。
今日も。
繰り返し。

ちょっと言うのは早いけれど、おやすみなさい。

※画像の餃子は別のお店のものです。

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