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「横浜カレー記念日」に寄せて

6月2日は、「横浜カレー記念日」です。

1859(安政6)年6月2日は、前年に締結された日米修好通商条約により、それまでの下田・箱館のほか、神奈川(現在の横浜)・長崎が開港したことにちなみ、横浜港開港記念日・長崎港記念日でもあります。
この開港により、日本にもカレーが入ってきた…という話から制定されたようです。

というわけで、今回は食文化。
日本でも定番のメニューである「カレー」についてちょっと書いてみたいと思います。

1、「カレー」の起源とは

カレーの発祥といえばインド…と考えますよね。
日本でも、「インドカレー店」

は一つの外食ジャンルを形成するほどメジャーになっています。
今更、カレーはインド発祥ではない!なんてことがあってはならない気がしますが(笑)

しかし実は、インドに「カレー」という呼び名の食べ物はない、ということを考えると、ちょっと雲行きが怪しくなってきます。
確かに、インドでは、およそ5000年前からスパイスを使った料理が作られていたと言われており、アーユルヴェーダ(インドの伝統的医学)の古い書籍では、スパイスを使った料理についての記載があります。
しかし、それは「カレー」という名前ではありません。

そもそも現在使われている「カレー」という言葉が指す料理は、実に幅広く、

南アジア・東南アジア産の特徴的なスパイスを使用した料理全般

を指しています。
しかし、南アジア地域の一般家庭を見てみると、そもそも「カレー」という言葉を使わず、地域ごとに「サーグ」「サンバール」「コルマ」「ダール」など、それぞれ固有名があります。
レシピも地域ごとで違い、共通点は「スパイス」だけ。
スパイスは、塩・醤油・味噌などと同じ調味料と考えれば、私たちが筑前煮と肉じゃがを「同じ料理」とは認識しないことと同じ感覚でしょうか。

では、そもそもカレーという名前自体がどこから生まれたのでしょうか。
現在、最も有力視されているのは、タミル語の「カリ(kari)」が語源であるという説。
1500年頃、希少なスパイスや宝石を求めてインド西海岸に到達したポルトガル人が、現地のスパイス料理を言い表すために、タミル語の「食事・おかず」の意味を持つカリ(kari)を元に作り出した単語が「カレル(carel)」だと言われています。

そして、それからおよそ100年。1600年代には、南アジアの勢力図は大きく変化しています。
日本でも、スペイン・ポルトガル(南蛮人)からイギリス・オランダ(紅毛人)に交流の中心が変化していった時期でもあります。
1600年、イギリス東インド会社

設立以降、この地域の貿易はイギリスが席巻するようになります。
そして、ポルトガル語の「carel」は、英語読みの「カレー(curry)」に置き換わっていくのです。

つまり、カレーという単語自体はタミル語→ポルトガル語を経た英語。
インドで一般的な呼称ではないのはこういった理由なんですね。

2、「カレー」が世界に拡散したワケ

ちょっと不思議なのが、ポルトガル人も世界を股にかけていたのに、カレルを世界に広めることがなかったのか…という点。
これはどうやら、ポルトガル人とイギリス人の行動パターンに起因するところがありそうです。

ポルトガル人は、現地に都市を作り、多くの人は定住、またはそれらの都市間を行き来しているケースが多いのです。
つまり、あまりポルトガルに帰らない。
そして、スパイスを簡単に調理できる「あるもの」がまだ生まれていませんでした。

しかし一方、イギリス人はかなり頻繁にイギリスに帰還します。
そして、土産代わりに「カレー」を振る舞うことが当時の定番。この習慣が本国でカレー料理が普及するきっかけになりました。
さらに、イギリス人は植民地の人々を各地に労働者(ほぼ奴隷ですが)として送り込みます。
現在でも、南太平洋やアフリカにインド系住民が多い地域があるのはその名残ですね。これも各地に「カレー」が拡散した理由の一つ。

そして、この拡散を支えたのが、1800年頃にクロス・アンド・ブラックウェル(Crosse & Blackwell、略称: C&B)社

が開発した「カレー粉」

元々は、イギリス東インド会社のウォーレン・ヘイスティングが、1772 年、粉末の混合スパイスと米を持ち帰ったもの。
カレーは、当初は高級料理でしたが、このカレー粉の開発と大量生産で、一気に大衆食になりました。

また、カレー粉は保存がきき、持ち運びやすく、調理も簡単なことから、労働者の食料や給料として各地の植民地にも持ち込まれることになりました。

3、「カレー」、日本に伝わる

カレー粉は保存がきくこと、健康増進効果もあることから、イギリス人は船上の食事でもカレーを多用していました。

日本人がカレーを初めて見たのは、やはり船上でのこと。
1863(文久3) 年、遣欧使節、田辺太一の従者としてフランスに渡った三宅秀

が船中でカレーを見たとされています。

1870(明治3)年にはC&B社のカレー粉が日本に上陸。
日本でもカレー料理が(高級食ですが)普及し始めます。

そして1905年(明治38年)、初の国産カレー粉が登場することになります。
開発したのは大阪の薬種問屋「今村弥」(現在のハチ食品)。

当時、スパイスは東洋医学でも多用されていました。
スパイスの扱いに慣れた薬種問屋がカレー粉を開発した、というのは何となく合点がいきます。
同じくカレーの商品が充実しているハウス食品も、元々は薬種問屋です。
ちなみに、商品名は「蜂カレー」

蜂カレーの名称の由来は、蜂蜜が入っているわけではなく…

薄暗い蔵の中でカレー粉の調合をしていた今村弥兵衛がふと顔を上げた時に、窓から射し込む朝日に照らされた蜂が美しい輝きを放っていたことに感銘を受けたこと

がきっかけだったとか。
キャッチフレーズは「洋風どんぶりがうちでも作れまっせ!」
当時、カレーはそう呼ばれていたんですね。

「カレーライス」という言葉の元になったのは、どうやら1876(明治9)年、札幌農学校における、ウィリアム・クラーク博士

による「らいすかれいの勧め」のようです。

日本の食事(米食)は栄養が取れないが、「らいすかれい」なら良い

という彼の言葉に従い、農学校では1日おきに出されたとか。


現在では国内のカレー粉のシェア8割を占めるヱスビー食品

がカレー粉を発売したのが1923(大正12)年。
山崎峯次郎が創業した日賀志屋(当時)が苦心の末開発したカレー粉は、1931(昭和6)年に起きた食品偽装事件で逆に国産カレー粉の評価が上がったことから販売量が増加。

C&Bカレー粉偽装事件
1931(昭和6)年、偽造したC&Bカレー粉の缶に国産品を詰めて販売していた食品偽装事件が発覚。
当時はまだ、C&B社の製品が最高級品とされていたのです。
ところが、「中身を詰め替えられても誰も味の違いが分からなかった」、つまり、国産品がC&Bの製品と比べて遜色ない品質を持つことがこの事件で証明される結果に。
この事件を以降、国産品への切り替えに二の足を踏んでいた洋食店が次々に国産品を使うようになり、国産品の出荷量が増加していきました。

これ以降、国産のカレー粉が一般化し、カレーは高級食から大衆食になっていきます。

さらに戦後、軍隊食としてカレーを常食していた人々が復員し、家庭でカレーライスを作ったことから、家庭食としての地位も確立していくのです。


というわけで、今日はカレーの歴史について少し触れてみました。
雑学としてお役に立てば幸いです!

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