古代の髪、その美学(後編)
前回の記事では、奈良時代までの主に女性の髪について触れてきました。
しかし、奈良時代までの人々がどのようにヘアケアをしていたのかについては、はっきりしたことはわかっていません。
日本でヘアケアに関する記録が最初に見られるようになるのは平安時代です。
平安時代といえば、遣唐使が廃止されて華やかな大陸文化の影響は薄れつつあり、貴族を中心に日本独自の優美な文化(国風文化)が芽生えた時期です。
また、この頃になると、朝廷内では行事が盛んにおこなわれるようになりました。これを年中行事といいます。
その記録も兼ねて日記をつける貴族が増えたこと、そして日本独自の「かな文字」の発達により、女性の手による日記や文学作品が生みだされたことにより、当時の宮中の様子が事細かに記録されているのです。
この時代の有名な女性作家と言えば、紫式部
や、小野小町
ですね。
彼女たちは、日本人ならではの感性を豊かに表現した文学作品を生み出しました。例えば紫式部の「源氏物語」では、優美で上品な貴族の女性が描かれています。
さて、この作品を呼んでいると、当時の女性たちの生活スタイルや、美の基準などをうかがい知ることができます。
まず、平安貴族の女性たちがどこに住んでいたかというと…。
こんな感じの建物でした。
これは寝殿造といいます。
見た目は豪華ですが、軒が深い(屋根が大きく張り出している)ため、建物内は日中でも薄暗い状態でした。
そんな中にずっと暮らしているのですから、女性たちは肌が真っ白だったと言われています。
そして、薄暗い建物の中でも映える豪華な衣装を身にまとっていました。
それが十二単(じゅうにひとえ)
です。
十二単は絹製で、それぞれに豪華な染色が施されていました。
そして、当時の貴族の女性でさらに目を引くのがとてつもなく長い髪です。
何と、当時の女性は生まれてからずっと髪を切らなかったのです。
(鬢批(びんそぎ)という、ちょっと顔の横に垂らす部分は除く)
そのため、髪の長さが7m(!)に達する人もいたとか。
源氏物語の中でも、ゆうに背丈を超える髪の持ち主がたくさん登場します。
この長髪、十二単とボリューム感のバランスを取るために不可欠なものでした。
さらに、ただ長ければいいというものではなく、黒くて艶やかなことも求められました。
そのつややかで長い黒髪を扇のように広げて佇む色白の女性こそ、この時代の「美女」だったのです。
また、動くにはとてつもなく邪魔な長い垂髪は、「肉体労働が必要ない貴族女性」の象徴でもありました。
髪が高貴な身分を表してもいたんですね。
ところで…背丈を優に超えるような髪を、当時の人々はどのようにケアしたのでしょうか?
まず…「髪は洗いません」。
え?という方も多いかもしれませんが、そもそも平安時代の貴族社会にはほとんど「入浴する」習慣そのものがありませんでした。
貴族ではない人たちは、今でいうサウナのような蒸気風呂を使っていたのですが、貴族はそれすらも滅多に使いません。
というのも、当時は物事を風水など、占いで決めていました。
風呂に関しても、最も縁起の良い時に入らなければ垢が落ちた毛穴から邪気や悪霊が入り込み、最悪の場合は命を落とすと信じられていたのです。
そんな縁起の良い日が滅多にあるはずもなく、貴族が風呂に入るのは年に1回程度だったようです。
十二単を着込んでいるのに滅多にお風呂に入らない…となると、どうなるかは何となく察しがつきますね。
さらに、洗髪をしなければ髪も傷んでしまうのでは?と思うのですが…。
女性たちは、長髪のケアを頑張っていたようです。
その方法はというと…。
米のとぎ汁(ゆする)を使って髪全体を濡らし、ひたすら櫛でとかす
です。
米ぬかの油分でつやを保っていたことになります。
ただ、洗髪していないとなると匂いについてはどうにも…。
というわけで、平安時代には「香」を焚くことが一般的でした。
身体や衣服に香を焚きしめて、匂いを抑えていたのです。
それ以外にも、当時の女性のヘアケアの関心の高さをうかがい知ることができる書物があります。
それは「医学書」です。
日本に現存する最古の医学書、「医心房(いしんぼう)」
丹波康頼という宮中付きの医官が、中国の医学書から有用なものを集めて作り上げたものです。
その中の巻四 美容篇に、美容に関する項目が全24章にわたって存在するのです。
そして、そのうちの前半(12章分)がヘアケアに関するもの。
このことからも、当時のヘアケアに対する関心の高さがうかがえます。
いくつか例を挙げてみますが…
まずは育毛。
麻の葉と桑の葉をゆするで煮て、かすを除いたもので七回髪を洗う
…前半はともかく、後半は大変そうです。
その他にも、ちょっと怪しげな育毛クリームの製造法なども記されています。
次に白髪染め。
千回以上とかす
…ま、まあ、それで白髪にならないなら頑張る…かな?
腱鞘炎になりそうですが。
さらに
正月一日に五香を用意し、湯で煮て頭を洗うと白髪にならない
五香とは栴檀・沈水香・丁子香・安息香・鶏舌香のことです。
ちなみに、正月というのは旧暦なので、今でいえば2月です。
ドライヤーもない時代の真冬、湯とはいえ長髪を洗って、日当たりが悪いところにずっといる…風邪を引きそうですが…。
これを見る限り、割と無茶なものが多い気がしますね。
しかし、中には
大麻子をつき、よく蒸してから、その汁で髪を潤す
というものもあります。
大麻子はトウゴマのことですので、その汁はひまし油を含んでいるはずです。ひまし油は今でも髪油の原料として使われていますね。
これはまともです…。
その他にも、症例ごとに様々な対処法が記されています。
ちなみに、もし髪が薄くなってしまったらどうしたのかというと…。
その場合には「カツラ」をかぶっていました。
しかし、工業化が進んでいるわけではない時代、人工毛があるわけもなく、カツラを作るとなれば人毛を使うしかありません。
場合によっては、行き倒れている人の髪を剃ってカツラにしていたケースもあるとか。うーん。
宮中では、容姿の美醜と教養の有無は自分の、ひいては一族の未来にも関わる重要なものでした。
美しく教養が深ければ、より高位の貴族、上手くいけば天皇に見初められる可能性もあったからですね。
紫式部や清少納言のように、家庭教師として宮中で活躍できる可能性もありました、
それは、一族がより繁栄するための近道でもありました。
実際、貴族は娘たちにより良い家庭教師をつけて教養を身につけさせ、日々ヘアケアに努めさせるなど、「美女」として磨き上げるための労力を惜しみませんでした。
彼女たちは、単なる楽しみとしてだけではなく、そのような背景も背負って日々頑張っていたのです。
そう考えると貴族も楽ではありませんね…。
というわけで、今回は平安時代のヘアケアと美の基準に関するお話でした。
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