今日はスパルタ王レオニダス1世の忌日。
テルモピュライの戦いで200万のペルシア軍に僅か7000のギリシア連合軍で挑み、最後まで戦場に踏み留まり壮絶な戦死を遂げたとされます。
その後ギリシアは団結。アテナイが海軍、スパルタが陸軍を粉砕、ペルシアのギリシア征服の野望は潰えたのです。
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土地調査・環境・防災コンサル会社等を経て地歴科講師となり15年。地理、歴史、防災、趣味のコーヒー関連の記事を中心に投稿します。地理や歴史は暗記ではないことを伝えたい。知の力と和の精神は世界を救う。第2回cakesクリエイターコンテストで佳作をいただきました。今後も精進いたします!

コメント1件

ちなみに、200万という兵員数は、当時のペルシア帝国の人口から考えてあり得ない数字(戦闘員の他に非戦闘員(支援要員)もいたはずなので、そうすると総数は500万を超えてしまいます)です。
現実的なラインは20万前後といったところですが、それでも最後まで踏みとどまったスパルタ・テーバイ・テスピアイ兵は1500名程度。最後の1日の戦いのペルシア軍の死者数は2万人と言われていますから、その戦いぶりは凄まじかったようです。
それ以前の戦いの死傷者数を合わせると、ペルシア軍は一時的に行動不能に陥った可能性も高いですね。
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