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短編 「新しい春への夜行バス」

真夜中の高速道路を走る夜行バスの中で、高校を卒業したばかりの18歳の佐藤美咲は窓の外を見つめていた。膝の上には小さなボストンバッグ。その中には、彼女の新生活に必要な最小限の荷物が詰め込まれている。

美咲の故郷は、日本海に面した小さな漁村。そこから東京まで10時間以上かかる夜行バスの旅。来週から始まる大学生活への期待と不安が入り混じる中、美咲は静かに深呼吸をした。

「大丈夫かな...」

つぶやきが口から漏れる。両親や友人たちとの別れの場面が、まぶたの裏に浮かぶ。特に母親の涙ぐんだ顔が、胸に刺さる。

ふと、隣の席からくしゃみの音が聞こえた。振り向くと、同じくらいの年頃の男の子が申し訳なさそうに微笑んでいる。

「ごめん、起こしちゃった?」

「ううん、起きてたから」美咲は小さく首を振った。

「そっか。俺、田中裕太っていうんだ。君も東京行き?」

美咲は少し警戒しながらも、相手の優しそうな目を見て安心した。

「うん、佐藤美咲です。大学入学で...」

「へえ、俺も!どこの大学?」

会話が弾み始めた。裕太も地方から上京する新入生だという。専攻こそ違えど、同じ不安と期待を抱えていることが分かった。

バスが深夜のサービスエリアに停まった時、二人は一緒に外の空気を吸いに出た。満天の星空の下、美咲は思わず息をのんだ。

「わあ、きれい...」

「うん、都会じゃこんな星空見られないんだろうな」裕太が隣で呟いた。

その瞬間、美咲は胸が詰まる思いがした。故郷を離れることへの寂しさが、一気に押し寄せてきたのだ。

裕太はそんな美咲の表情を見逃さなかった。「大丈夫?」

美咲は涙をこらえながら頷いた。「ごめん、ちょっと寂しくなっちゃって...」

裕太は優しく微笑んだ。「分かるよ。俺も正直、不安でいっぱいなんだ。でも、新しい出会いがあるって思うと、ワクワクもする」

その言葉に、美咲は少し元気づけられた。

バスが再び走り出してしばらくすると、空が少しずつ明るくなり始めた。東の空がうっすらと赤く染まる頃、美咲は裕太に尋ねた。

「東京で、どんな夢叶えたいの?」

裕太は少し考え込んでから答えた。「まだはっきりとは分からないけど、人の役に立つ仕事がしたいな。君は?」

美咲は自分のボストンバッグを見つめながら答えた。「私は、故郷の海を守りたいの。だから環境学を学ぶつもりなんだ」

「すごいな」裕太は感心したように言った。「具体的な目標があるって、素晴らしいと思う」

二人の会話は、東京に着くまで続いた。互いの不安や希望を語り合うことで、心の中にあった重荷が少し軽くなったように感じた。

東京駅に到着し、バスから降りる時、裕太が美咲に声をかけた。

「あのさ、もしよかったら連絡先交換しない?これからも励まし合えたらいいなって」

美咲は少し照れながらも、嬉しそうに頷いた。

別れ際、裕太が言った。「きっと大丈夫だよ。二人とも、新しい人生の扉を開けるんだから」

美咲は深く頷いた。「うん、ありがとう」

駅を出て、朝日に照らされた東京の街並みを見上げた時、美咲の心に静かな決意が芽生えた。ボストンバッグを強く握りしめ、彼女は一歩を踏み出した。

それから4年後―

東京湾岸の公園で、美咲は裕太と並んで座っていた。二人の間には、4年前に乗った夜行バスのチケットが置かれている。

「あの時は、こんな風になるなんて想像もしなかったね」裕太が懐かしそうに言った。

美咲は頷いた。「うん。あの夜行バスがなかったら、私たち出会えてなかったかもしれない」

大学生活を通じて、二人は親友以上の仲になっていた。美咲は環境保護の分野で頭角を現し、裕太は社会福祉の道を選んだ。互いの夢を応援し合い、時には厳しい言葉をかけ合いながら、二人は成長を続けてきた。

「卒業後の進路、決まった?」裕太が尋ねた。

美咲は海を見つめながら答えた。「うん、故郷に帰って、地元の環境保護団体で働くことにしたの」

「そっか...」裕太の声に少しの寂しさが混じっていた。

美咲は裕太の手を取った。「でも、時々東京に来るつもりだよ。それに...あなたも来てくれるよね?」

裕太は明るく笑った。「もちろん!むしろ、俺も地方で働くことを考えてるんだ。都会も良いけど、地域に根ざした福祉の仕事がしたくて」

二人は互いを見つめ、静かに微笑み合った。4年前、不安と期待を胸に秘めて乗った夜行バス。それは単なる移動手段ではなく、新しい人生への扉を開く鍵だったのだ。

「ねえ、裕太」美咲が小さな声で言った。「私たちの新しい旅、一緒に歩んでいこう」

裕太は美咲の手を優しく握り返した。「うん、一緒に歩もう。どんな未来が待っているか、楽しみだね」

東京の喧騒を背に、二人は寄り添って座っていた。ボストンバッグと夜行バスから始まった彼らの物語は、これからも続いていく。新たな挑戦、新たな出会い、そして深まる絆。人生という長い旅路の中で、二人は互いを支え合いながら、自分たちの夢を追い続けていくのだ。

空には夕焼けが広がり、新しい明日への希望を優しく包み込んでいた。

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Moko-Anne
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