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タイパ社会を生きる

帰省先(神奈川)から帰ってきました。

実家は朝日新聞を取っている。父はどちらかといえば保守だし左巻きは嫌いだと思うんだけど、なぜかうちの新聞はずーっと朝日。たぶん何の思惑のなく、惰性なのだと思う。私も大学の頃は、見慣れたものをなんとなくという理由で朝日を取っていた。

大人になって、読む暇の無さから、しばらく新聞購読をやめていたのだけど、数年前からまた新聞を取り始めた。

今度は読売新聞。これも理由はなくて、先だって読売Kodomo新聞を取っていたら、ついでに大人の新聞もいかがですかと販売店から営業されて、なんとなく、というだけだ。

両新聞の思想傾向については特に触れないとして(手垢がつきすぎて、つまらない話題だから)、ともかく、久しぶりに違う新聞を読むと、やっぱ少し毛色が違う。たまたま読んだ記事がそうなのかもしれないけど、朝日のコラムは「うっ」と来る内容のものが、読売より多い気がする。(思想的な理由というよりは、切り込み方、かなあ)

大学1年生の時に読んだ、海外の人身売買とHIVに関する記事、いまだに忘れられないんだよな…。読まなきゃ良かった、くらい辛い内容だったけど、そうやって刺さったものが、なんとなく自分の一部を作っている気もする。それは、いいことでも悪いことでもない。世界の一部が私に流れ込み、それを受けた私が生きている。ただそれだけだ。

さて、そんな朝日の年末年始の生活面に、「タイパ社会 豊かな時間はどこに」という連載が載っていた。

「タイパ」とは「タイムパフォーマンス」の略で、時間や成果に対する満足度のこと。 ただ単に無駄な工程を省くことや複数の作業を同時に行うといった効率的な動作ではなく、自分が費やす時間に対しての満足度が高かったり、成果が大きいと思われる行動をとっていくことを指します。

Google検索から

コスパのお友達みたいな言葉だけど、去年(2022年)の新語大賞に選ばれたとか。私が初めてこの言葉を聞いたのは、お客様さんから。私はコスパという言葉も良しと思っていないし、「タイパ」の意味を聞いたときは「世も末だな💦」と正直思ったけど、情報がどんどん増大するこの時代の流れとしては、まあ必然だよね。

で、このコラムの趣旨はおそらく、情報に追われる人の在り方に警鐘を鳴らし、豊かな時間の過ごし方とは何か、ということをシリーズで考えていくというもの。

生活紙面を飾る年初のテーマとしては、時流に沿っててとてもいいんじゃないかな。

「タイパ」という言葉は、情報化社会から豊かさを受け取るか、貧しさを受け取るか、という点で、大きなキーワードのひとつになるでしょう。

ここでひとつ、提示したい個人的なエピソードがあります。学生時代のことです。

2000年頃、大学生だった私は「食べ放題」のファミレスに、お友達とよく通っていました。当時はデフレもあって、ランチは1000円以下で食べ放題、というお店があったんですね。

その頃はお腹もよく空いたし、オーダーした瞬間の「いくらでも食べられる✨✨」みたいなワクワク感がすごく好きだったんです。

私は女性にしてはとてもよく食べる(今も)方だと思いますが、いつもいつも、満腹ちょっと越えまで食べて、苦しい、苦しい、と言いながら帰ってきていました。

そしてある日、「これは、もしかして満腹より満足度が下がってるのでは」ということに気がつきます。

それからは、少し食べ方が変わりました。「お盆ひとつ、ご飯は2杯まで。そして、大好きな食材は把握しているので、主にそれだけでお腹を満たす」

「食べ放題を極めるとそうなるんだね!」

と当時よっちゃんが感心していたのですが、そのうち、「それって別に食べ放題じゃなくて良くない?」という哲学的な気づきを得ました(笑)

買っているのは、食べ物ではなく、ワクワク感だったのです。(もちろん、それも悪いことじゃないのですが)

サブスクの「〇〇放題」など、滝のような情報をたくさん浴び続けて、その効率(お得かどうか、満足かどうか)を追求するというのは、上記の話とほとんど構造が同じなんだなと思います。

大事なのは、「たくさんのコンテンツをいかに詰め込むか」ではなくて、むしろ「何を切るか」なのではないか…。

今の状況は、テクノロジーがない時代からすると、とても贅沢なのだと思う。

「選択肢の多さ」は豊かさだ。

でも、それを可能な限り飲み込もうとする行為は、きっと、貧しさへの入り口なんじゃないかな…。(私の食べ放題のようにね)

ちなみに、ビジネス書などで、時間を最大活用するように若者を煽っているのはむしろ大人たち、40-60代らしい。「なかった」時代の人たちが、夢を見ているのかもしれない(笑)

コラムには、無料で読める範囲でも、タイパに振り回される若者のエピソードが出てきますが、大人は自分の選択だから仕方ないとして、大人の何かの思惑に引きずられる若者、子供はちょっと気の毒…。

そんなわけで私は、「他の可能性を切る」豊かさを、少しずつ伝えていきたいです。言い換えれば、「あきらめる」ことの効用、ですね。

新年早々テンションの低そうなことを書いているけど(笑) きっと、これがこれからの時流になると信じて。1年間の、自分のなんとなくの指針にしたいと思います。

ではまた(^^)

 


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