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小説 「長い旅路」 6

6.「隠居生活」

 実家に戻ってきてから、2年近く経っているはずだ。
 しかし、俺には未だに「あの会社を辞めた」という記憶が消え失せる瞬間がある。特に起き抜けと夕方は、そうなりやすい。
 退職したのではなく、籍を置いたまま休職しているような錯覚に陥り、会社の関係者から「いつから来られるんだ?」と連絡があったように記憶していたり、「早く身体を治して、復職しなければならない」という衝動や使命感に駆られたりする時が、多々ある。(おそらくは、夢と現実と幻聴を、混同している。)
 そんな俺を目の当たりにするたびに、母は とても悲しそうな顔をする。俺が至って真剣に養鶏や復職の話をし始めると、母は いつも、俺の手を握ったり、背中をさすったりしながら「もういいんだよ」「あんなとこ、もう行かなくていい」と言って、カレンダーの所へ連れて行き、その日の日付を教えてくれる。「辞めてから、長い年月が経っていること」を、何度でも教えてくれるのだ。(そのために「退職した年月日」も、別の紙に書いて貼ってある。)
 しかし、何度、カレンダーを見たり、テレビを観たりして日付を確認しても、なかなか それに【納得】できない自分が居た。
 俺の中では、時間は「止まっている」も同然だった。


 その日も、俺は朝から母に「職場から電話があった」と話し、復職について相談しようとして、止められた。
「また、寝ぼけてるんでしょ」
母は、淡々と食卓に料理を並べ、朝食の準備をする。
「和真。今日も、お出かけする?」
「え?」
「今日も、動物園行く?」
その一言で、俺は やっと「サイを見るために動物園に通う」という、現在の習慣を思い出す。
「……行く」
「じゃあ、お昼は外だね。……気をつけて行っておいで」
「うん」
「母さんは、今日も夕方まで仕事だからね」
俺は特に応えず、手を合わせて「いただきます」を言って、朝食に箸をつける。
 父は、早朝から仕事に出かけている。

 朝食は基本的に母と2人で食べる。午前から仕事がある母と、朝の開園直後を狙って動物園に行きたい俺は、ほとんど同じ時間に起きる。
 一緒に食事をしていても、俺の味覚障害のことを知っている母は、味の話はしない。父のように、学歴や収入について責めたりもしない。その日の予定とか、テレビの話とか、動物園の動物達の近況とか、そんな ささやかな話ばかりだ。
 今の俺には、自他ともに認める「記憶障害」があるが、母は、絶対に それを笑ったり責めたりしない。


 母に見送られ、俺は家を出る。
 最寄り駅まで、住宅街に点在する小さな水田を眺めながら、のんびり歩く。
 今の俺は、地下鉄に乗るのも、動物園に入るのも「無料」だ。

 園内が空いていて、自分の体調も良ければ、様々な動物を見て廻るが、基本的にはサイしか見ない。
 サイが朝の餌を食べている姿を、気が済むまで観察したら、後は気の向くままに園内を歩くか、外で買い物や外食をして、そそくさと帰る。知らない場所には行かない。
 あらゆる事に対し、ほとんど興味が湧かない。

 それでも、何気なくホームセンターに立ち寄ったりすると、「現場で着よう」とか「事務所で使おう」と思って、衣類や文房具を買ってしまう時がある。
 後になって、自分が「その仕事を辞めた」ということに気付いても「いずれ、また別の場所で使えるだろう」ということで、しまっておく。
 俺の部屋には、未使用の作業着や手袋、ほとんど同じようなボールペンや替え芯が、大量に溜まっている。
 靴下だけは、無職の生活の中でも重宝している。
 似たような物ばかり、使うあても無いのに何個も買ってしまうことについて、両親は特に何も言わない。


 自宅で過ごす時間の大半は、スマホで動物の動画を観るか、ゲームをする。あるいは、インターネットで拓巳の近況を調べる。
 本人の連絡先は知っているが、公式SNSで発信される情報を読んだほうが速い。

 俺は、自分が同性愛者であることを両親には話していない。しかし、彼らは、俺が拓巳と同居していたことを知っている。
 とはいえ、当時の俺達は互いの両親に対し「友人とルームシェアをしている」という主張を崩さなかった。そして、事実として俺達は貧乏学生だった。経済的な助け合いは欠かせなかった。
 俺の両親は、テレビ等で拓巳が同性愛者であることを知っているとは思うが、一緒に暮らしていた息子も『同じ』であるかどうかについて、俺に訊いてきたことは一度もない。
 今の彼らにとって重要なのは、俺のセクシャリティーや結婚より、体調と再就職だろう。

 自分の部屋でネットサーフィンをしていると、仕事から帰ってきた母が、ドアをノックして入ってきた。俺は「お疲れ」と言って迎える。
「ただいま。……洗濯物、お願いしていい?」
「……はい」
 母が夕食の準備をする間、俺はベランダの洗濯物を回収して、仕分ける。自分のものだけは、部屋に持ち帰って箪笥にしまう。
 両親のものは、分けるだけでリビングに放置する。俺が畳むと「畳み方が雑だ」として、いつも母に畳み直されてしまうからである。初めから委ねてしまったほうが、合理的だ。


 俺は、父と食事をするのが大嫌いだ。
 父の帰りが遅ければ、待たずに食べてしまう。
 しかし、今日は早く帰ってきやがった。
「帰ったぞーい……」
父が、全身から機械油の匂いをさせて、汚らしい鞄をぶら下げて、どろどろの靴下を手に持って、裸足でリビングに入ってくる。(洗濯機や風呂場があるのは、家の奥なのだ。)
「……お疲れ」
俺はソファーに座ってネットサーフィンをしながら、母にかけるのと同じ言葉で迎える。
「あぁ、お疲れだよ!おかげさんで!」
俺の耳が遠いからというのを口実に、父は いつも、無駄に大きな声で話す。……だが、実際は大きな声を出して、ストレスを発散したいだけだ。無職の俺に、八つ当たりしたいだけだ。
「おかえりー。先にシャワー浴びる?」
「そうすっかなぁ……」
こんな奴と30年以上一緒に暮らしている この母は、凄い。

 父がシャワーを浴びてきて、不本意ながら、3人での夕食が始まる。
 今 父が話している内容は、俺と同年代の「誰かの息子」が、結婚したとか、子どもが生まれたとか、どこかの支店長になったとか、医師免許を取ったとか、そんな話ばかりだ。
 俺に兄弟は居ないが、父は、俺が小学生の頃からずっと、俺を「よその子」と比べては、一喜一憂してきた。
「おまえは今日、何してたんだよ?」
父は、どうせ同じことしか言わない。無視していればいい。
 父の問いには、母が答えた。
「あーあー。変わり映えがねぇなぁ。……毎日毎日、呑気に動物園なんか通うんなら、あそこらへんでバイトでもしろよ!」
(何とでも言え……)
今の俺にとって「サイを見る」という習慣が、どれだけ重要なのか、父は解っていない。語る気も無い。
「聴いてんのか、てめえ!!」
俺は断固として無視する。
 こんな分からず屋と「話そう」という気は、そもそも起きないが、それでも、食事中以外なら、挨拶くらいは出来る。
 しかし、俺は父との食事が始まると、途端に言葉が出なくなる。「何を話しても無駄だ」と、身体が学習しているためか?……よく解らない。ただ「一秒でも早く食事を終わらせて、自室に戻りたい」以外のことは、何も考えられない。両親の話の内容が、ほとんど頭に入らない。
 母は、俺が「母親以外の人間とは、ほとんど会話が出来ない」という現状について、律儀に精神科医に相談し、そこで言われた「【場面緘黙】かもしれない」という言葉を、真に受けている。(俺は、今ひとつピンとこない。そもそも、他者との接点が少なすぎる。)
「大きな声、出さないでやってよ」
「なんでだよ!?こいつは、もう耳が……」
「私、普段そんな声出してない。……大事な話なら、書いて、見せてあげればいいの」
珍しく、母が「反論」している。
「そんな怖い顔して、大きな声出されたら……ごはんが不味くなるじゃない。ねぇ、和真?」
 俺は、食べ進めるのをやめる以外は、何も出来なかった。言葉を返せなかった。
「側で聴いてる、私も嫌よ」
「嫌、つってもよぉ……こいつ、俺達のこと、ほとんど無視しやがるじゃねえか。反抗期のガキみたいに!」
「和真は今、人と話すのが難しいの!相手がお医者さんでも、ほとんど話せないんだから!…………働け、働け、ばかり言わないでやってよ。奨学金だって免除になったし、年金も頂けることになって……この子の年金、ほとんど家計に入ってるでしょ!?」
「何が『年金』だ!年寄りみてぇに……情けねぇ」
「情けないって何よ!!」
母が、珍しく怒った。
 箸を持ったまま、その手で食卓を叩いたのだ。
「何が不満なのよ!!」
父も俺も、黙って母を見ている。
「和真は……ちゃんと、生きて帰ってきて、毎日、元気に出歩いてるんだよ?……素晴らしいことじゃない!『ひきこもり』の同級生だって居るのに……。よその、本当に優秀な子達ばかり引き合いに出して、うちの和真が『出来損ない』みたいに言って……それは、酷いでしょ!いくら何でも!」
 母が珍しく怒りの感情を露わにしたことに、父も驚いたようで、にわかに狼狽え始めた。
「お、俺だって……別に、こいつが『出来損ない』だなんて、言ってねぇよ……」
 俺は、両親の会話を聴きながら、再度 黙々と箸を進める。内容までは聴こえていないふりをして、それでも、心の中で母を応援した。
「年金に、ケチをつけたじゃない!!」
「ケチってわけじゃねぇよ。ただ……『息子の身体が壊れた証拠』みたいなもんじゃねぇか、それ…………悲しくならねぇか?」
「和真は、立派に働いてきたの!何も、恥じることは無いの!!」
 少なくとも母は今、完全に“キレて“しまっているし、両親は、俺の耳がどこまで良くなったか、いまひとつ理解していないのだろう。
 全く聴こえていなかった頃と同じように、目の前で平然と俺の話ばかりする。

 俺は、食べ終わったので、いつも通り「ごちそうさま」を言って、空いた食器を重ねる。
 母だけは、スイッチでモードを切り替えたかのように、俺に「あぁ、全部食べたねぇ」と言って笑顔を見せた後、再び父を睨む。
 父は、頭を掻きながら応える。
「いや……その……何だ?新しい仕事が見つかれば、さ……『養鶏場に戻る』なんて、言わなくなるかと思ったんだ……」
 俺は、黙々と流しに食器を運ぶ。

 両親の会話に対する興味が失せ、俺は一人で自室に戻る。
 しばらく寝転がって食休みをしたら、ゲームの続きをやる。

 その夜、俺は腹を下さなかった。吐きもしなかった。


 数日後。父は休日だったが、一人で どこかに出かけた。俺は、相変わらずサイを見てから、定食屋で昼飯を食って帰ってきた。
 母だけは、今日も仕事だ。
 母より先に、父が帰ってきた。自室に居た俺は、父に呼び出され、リビングで何かのパンフレットを見せられた。「就労継続支援A型作業所」という、意味の分からない文字列が書かれていた。
「ここなら、年金を もらいながらでも、アルバイトが出来るんだ!」
父はそう言ってページをめくり、賃金や作業時間に関する表を指さしながら、下手くそな説明をした。結局「障害者を雇うために作られた会社」ということ以外、ほとんど何も解らなかった。
 その作業所の場所は、毎日通っている動物園の近くで、作業開始時間は、動物園の開園時間よりも遅い。作業は、基本的には1日4.5時間で終わる。
 その条件だけを見れば、通うのは苦にならない気がした。
 作業内容は、椎茸の菌床づくり・栽培・収穫・検品・パック詰め・他……で、さほど難しいことは無さそうだ。
「どうだ?」
(ここで『働け』と……?)
「同じ土地に毎日通うんなら、金になるほうが良いだろ」
確かに、それは【正論】だが……俺は「昼食」が不安だった。毎日、他の従業員と同じ仕出し弁当を、食べ続ける自信は無かった。
「接客が無いんだ。キノコの世話と、パック詰めだけでいいんだ」
 自動車の流通と整備の世界しか知らない父は よく解っていないのだと思うが、「キノコの世話」というのは、大切な菌床に雑菌を混入させてはいけないから、かなり衛生管理に気を遣う仕事だ。畜産業ほどシビアではないかとは思うが……昼食に不安があり、日常的に腹を下している自分には、難しい気がした。
「見学だけでも、行ってみないか?」
(どうして、そこまでして【金】が欲しいのだろう……?)
 先日の、母の怒りは、やはり この男には響いていない。


 俺は「YES」とも「NO」とも言わなかったが、後日、父と支援員と自分の3人で、作業所の見学に行くことが決まってしまった。


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【7.新天地を求めて】
https://note.com/mokkei4486/n/n08586c2baf38

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