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【読書日記】2021年7月24日

朝からnoteを書ける日は、少しだけ気分が上がる。自分の中にある思いを吐き出すかのように書く文章は、自分を癒す効果があるようで、とても嬉しい。

しかし反対に、「文章を書けない日は気分が下がる」という意味でもあって、これが辛い。
上がる日があるということは、下がる日もあるということ。上がる日だけがあればいいと思ってしまうけれど、そういうわけにもいかない、当たり前だけど。

これと同じように、本の感想も「面白い」と、「つまらない」や「わからない」があるなぁ、と阿久津隆さんの『読書の日記』を読んで思う。

本の中で阿久津さんが、
「本の感想に「わからない」と書くのはどうなんだろう」
といった話をされていて、そういえば私も過去によく「わからない」と表現していたっけと思い出す。

「わからない」と思うことと、「つまらない」ことは一致することではない。自分が読んでわからない本は、全てつまらない本だ!なんて幻想だもの。

しかし、「わからない」や「つまらない」と思うことも、大事だとも思うのだ。もしもその感覚がなくなってしまったら、「面白い」と思うこともなくなってしまう気がするから。

「つまらない」があるから「面白い」がある。だから感覚だけは持っていたい。けれどその「つまらない」をネットに放出してしまうのは、絶対にやめようと思う。理解できない自分を、ネットで世界にアピールすることになるし、格好良いことではないから。

「わからない」と思うことがあったとしても、その思いは自分の中におさめておこう。そうしよう。

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