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心をポキポキと折りながら

「焦ってしまうときは、焦ったらロクなことが無いことを学ぶ時期だと考えてみたらいい」といった話を聞いた。

焦りが生むものって、本当にロクなものがない。それをわかっているのに、すぐに焦ってパニックになってしまう私にとって、上記の言葉は救いの言葉だった。

しかし同時に思ったのは、焦りがロクな結果を生まないことを、私はこれまでの経験でイヤというほど知っているはず。焦りがよろしくないと学ぶ期間をもう何十年も積み重ねているはずなのに、いまだに学び続けている。これはおかしい。

うすうす気づいていたけれど、私は焦りがロクなものを生まないことをどうやら学んでいないようだ。経験としてロクなもんじゃないことは知っているけれど、その経験を次にいかそうという気がまったく無かったようだ。残念。

失敗した。ショック。悲しい。落ち込む。ウジウジ。終わり。
また失敗した。ショック。悲しい。落ち込む。ウジウジウジ。終わり。
こんな感じで何度も同じことを繰り返していただけなんだろうな。
しかし、飽きずに同じことを繰り返せるのは、ある意味では才能があるのかもしれないよね(急なポジティブ発言)

そんな最近の読書は『聞く技術 聞いてもらう技術』

「聞く」は、声が耳に入ってくること。
「聴く」は、心の声に耳を傾けること。

本の著者・東畑さんは、
「難しいのは「聴く」よりも「聞く」ほう」
だと本に書かれていた。

普段、なにげなくやっている「聞く」でも、本当に人の話を「聞く」ことができていると自信を持てる人はそうそういない。自分では聞いているつもりでも、相手が「話を聞いてよ!!」と怒っているようであれば、話が聞けていない証拠。でも逆に、そうやって責められることがないのであれば、話は聞けているのかもしれないとも本には書いてあった。なるほど。


私自身「聞く」も「聴く」も、どちらも大の苦手だと自信を持って言える。話を聞いているだけのつもりでも、声が耳に入ってきているだけで右から左に流れていくなんてしょっちゅうだし、
「この人の言いたいことには、何か裏の意味があるのでは??」
と勝手に憶測で決めつけて、アレコレと自分なりに考えて助言のようなものをすることもある。これは、相手の心の声に耳を傾けるの「聴く」ではなくて、相手の心の声を探りだしたらスゴイ人に思われるかもしれない!という浅はかな期待があるだけ。

もしも本当に心の声があるとしても、それを勝手に探り出されたら誰だってイヤなんじゃないだろうか。それなのに私は、相手の心の声を探り出そうと必死になっていて、一人で勝手にカウンセラー気分でいたんだと思う。この記事を書いていて、自分の浅はかさ、確実にヤバイ人さがどんどん明るみになっているため、そろそろ帰りたい。


『聞く技術 聞いてもらう技術』を読みながら、プロであっても、相手の心の声を聞くなんて難しいことで、簡単にできることではないと知ったし、相手との関係性を悪化させてしまう恐れもあるのだから、むやみに相手の心の声なんぞ聞き出そうとしてはならないと心から思った。

私の「人の役に立ちたい」という思いは、いつの間にかとても傲慢なカウンセラー気取りの勘違いヤロウになっていたと知り、自分のアホさ加減に気づいて心がズタボロになっている。けれど気づけて良かったよ。気づいて終わりにせず、気づいたからどうするかが課題ではあるんだけど。


とにかく話したいことがある人の話を最後まで聞ききる。まずそこができるようになりたい。相手が喋っているのに、つい話の腰を折って自分の話をしてしまったり、相手の話を決めつけて「こういうことでしょ」とドヤ顔してみたり、そういうのもうやめよう。

本当に今回の記事は、私の痛いところをドスドスとつつきまくった内容になってしまった。自分の醜い部分は見たくないので、いつだって自分に都合のいいように解釈して、自分の醜い部分を見て見ぬふりをしてきたけれど、そういうのもうやめたい。自分の醜い部分もしっかりと直視して、自分の問題点をしっかりと解決していきたい。

見たくない自分も、これからはどんどん見ていこう。そして心を折りまくろう。ポキポキ(もう折れた)。

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