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厳しさで得られるものって、何もない

どうして、子どもに厳しくしてしまうのか。
厳しくしなければ、厳しい社会を生き抜いていけないからだと思っていた。勝手に。自分もそうやって厳しくされてきたので。

しかしこの記事👇を読み、本当に厳しさは必要だったのか?と立ち止まってしまった。

この記事の中にあった文章が、頭から離れない。

社会が厳しいのに家庭まで厳しかったら、子どもはいったいどこに逃げればいいんだろう。

そうなんだよね、確かにその通りなんだ。自分に置き換えてみれば分かる。私も家庭が休まる場所ではなくて、戦う場所だった、ずっと。

いつだったか息子に言われたことがあった。
「家でも学校でも厳しかったら、僕はどこで休めばいいの?」
と。あれは息子が小学一年生だったっけ。この言葉はずっと私の心に刺さったままで、けれど厳しい社会を生き抜くために、厳しさは必要なんだと自分に言い聞かせてきた。息子にも厳しさを与え続けてきた。

でも幡野さんの文章を読み、この厳しさは不要なものだったかもしれないと気づいた。大人だって24時間365日、ずっと戦い続けることは不可能。その戦いを子どもに強いているなんて、考えるまでもなくおかしな話だ。

厳しくするために、怒らなくたっていい。本当に悪いこと、危ないことだったら、叱ればいい。叱るのと怒るのは違うんだもの、混同してイライラして、子どもに怒りをぶつけるのは止めよう。

「激甘な子育て」というのが、どういうものかは私にもわからないけれど、幡野さんがしているという子育てのように、「子どもの話を聞いて、子どものやりたいことをやる」というのは、とても良さそう。

たまたま昨日、息子に「今日は○○(息子の名前)の好きなことをしよう!」と声をかけたら、満面の笑みがかえってきた。とても嬉しそうで、でも急にそんなことを言われた戸惑いがあったらしく、息子は何をしようかと少し困っていた。結局、息子の好きなことはミスドの汁そばを食べることだったので、二人で仲良くミスドへ向かった。

嬉しそうな息子に、私まで嬉しくなる。これが幸せの循環、優しさの循環なのかと嬉しくなった。優しさは優しさがかえってくる。厳しさは厳しさがかえってくるんだ。

もうやめよう。厳しさで得られるものって、何もないんだもの、厳しいのはもうやめようっと。

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