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自分の足で歩きたい

読書日記を始めてから、読書が少しずつ遠のいている感じ。本を読むのが好きだからといって、24時間365日、必ずしなければいけないものでもないのだけど、読まずにはいられない気持ちと、読まなければいけないと思う気持ちがあいまって、どうにも複雑な気分を過ごしている。

読書をしなくても生活に支障はないし、本が読めないなら、読めないなりに他のことをしたって良いじゃないかと、柿内正午さんの『本が読めない日々』を読みながら思っていた。

柿内さんのようにゲームをしたって良いんだし、本にとらわれずに本だけの生活にならなくたっていいんだよね、と思うのだけど、本を読まなければ私の頭はどんどん退化していくんじゃないかという不安もある。

けれどもこれだけの情報社会だし、本を通じてじゃなくても毎日ネットで文字はたくさん吸収しているし、脳が退化するどころか、情報過多になっているために疲れのほうが溜まっていそうだな、と思ったりもした。ここはいったん、読書から離れてみるのも一つの手なのだろうか。

そういえばショーペンハウアー氏の『読書について』にも

本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。たえず本を読んでいると、他人の考えがどんどん流れ込んでくる。

『読書について』より引用

と書いてあったっけ。

これは『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』にも同じようなことが書いてあり、実際に著者の上田さんは、文章を読むことをやめていた時期があったっけな、と思い出した。そしてその期間を終えて文章を読むと、文字がスラスラと頭に入ってきたとも書いてあったっけ。

そんなことを考えつつも、結局のところ私は毎日、何かしらの本を手に取るだろうし、そうしないと落ち着かない性分になってしまっているわけで、だからこそ、ショーペンハウアー氏の言葉が胸に刺さるんだろうな。

読書をやめて、他人の思想が私たちの頭から引き揚げていったら、いったい何が残るだろう。だからほとんど一日中、おそろしくてたくさん本を読んでいると、何も考えずに暇つぶしが出来て骨休めにはなるが、自分の頭で考える能力はしだいに失われてゆく。いつも馬に乗っていると、しまいに自分の足で歩けなくなってしまうのと同じだ。

『読書について』より引用

自分の足では歩きたいよね、やっぱりね。

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