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ノーミスで生きたいと願っていた

最近『重版出来』のドラマを配信で見ている。何年前のドラマだろうかと検索したら2016年と出た。6年前って何してたっけ?鼻水でも垂らしてたっけ??

このドラマの中で、3年目の営業マンである男性の話があって。彼は編集の仕事を希望していたけれど、営業に配属され、やる気は皆無で周りからは「ゆうれいさん」と呼ばれるぐらい影が薄い感じなんだけど、この彼が上司から営業の仕事が嫌いかと問われるシーンがあって、そこがとても心に刺さった。

編集の仕事についたら何をどうしたいのかを、上司に問われた営業マンは、自分の思いを答えることが出来ない。そこで上司が
「自分の立ってる場所がわからないうちは、どこへも行けないと思うぞ」
と言うんだけど、これが私の現状をあらわす言葉に思えて、心に刺さったまま抜けないでいる。

現状を打破したい気持ちだけは強く持ち合わせているけれど、実際に現状を打破してどうしたいのか、どうなりたいのか、という明確な答えを私は持っていない。ただただキラキラしていると思われる方へと、流れていけたらそれで良いと思っていた。その流れを作るのは自分自身だという認識は薄くて、誰かや運によって良い方向へと流れていきたいと思っていた。ものすごい他力本願。こうして文章にすると、自分でも引いてしまう。

自分の立っている場所がわからないんだから、どこにも行けないというのは、言われてみれば当たり前なのに、何故か都合よく道ができて、その道にはエスカレーターやらエレベーターがあって、自分が汗水をたらさなくても自動で素敵な場所へと運んでもらえるって、本気で信じようとしていた自分がいたので、これは本当にまずいことだと、いま改めて自分に対して危機感を抱いている。どうにかしなければ。


そんな最近の読書というか読了本は『リリアンと燃える双子の終わらない夏』

「そもそも、うまくやれたって胸を張って言える人なんて、いると思う?子供をただの一か所も歪めたり、損なったり、だめにしたりしないで、ノーミスで育てあげた親なんていると思う?そういう人、ひとりでも思いついたら言ってみて」

『リリアンと燃える双子の終わらない夏』より引用

この言葉も心に刺さったものの一つ。

何でもノーミスで完璧に仕上げることができたら、自分は傷つかなくてすむだろうと私は思っていた。しかし、この「ノーミス」って誰にとっての?という部分を考えてみると、自分だけがノーミスと思っているだけで、実は他の人から見たらそれは間違いだってことも、きっとたくさんあるんじゃないかと思い始めた。

偉人たちの失敗図鑑みたいな本があるように、他者から見れば成功者に見えても、その成功者の中には、自分を成功者とは思っていない人だっているわけで。

人の数だけ正解があると言われるように、完璧と思われるものだって人それぞれ違うイメージがあるだろうし、自分が失敗と思っているものも、誰かにとってはそれが正解だ!になっているのかもしれない。

正しい道を歩みたいと思う気持ちはいつだってあるけれど、その「正しさ」って一体なんなのかと考え始めたら、明確な答えなんて無いんだということに気づいて、ということは、自分が歩みたいと思う道を選んでいくほうが、自分自身は幸せなんじゃないかと、今これを書いていて気づいた。

完璧にしたいとか、そういったことを一旦リセットして、まずは自分がどこへ進みたいのかを、自分の現状を把握しながら考えていくしかないんだなと気づいたので、「まずは自分がどうしたいのか」をこれからも突き詰めていこうと思った。自問自答の日々は続く。たぶん死ぬまで。

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