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モジユメな土日[前編] 講師:実川れお

 モジユメな土日のはじまりはじまり。
 7月末、モジユメを開催するためいわき入りをする直前に、一部の関係者に送ったLINEにはそんな言葉を綴った。モジユメにどっぷり浸かる2日間(会場設営日と講座当日)のことを、今年は「モジユメな土日」と呼んでみることにした。別段深い理由があったわけではないけれど、年に一度の特別な2日間が始まることを、気軽な表現を使って誰かと共有したかったのだと思う。そうしたわくわくした感情が湧き上がってくると、いよいよモジユメが始まることを実感する。

 今年の「モジユメな土日」も、作家吉野せいさんのお墓参りをするところから始まった。いつもお見守りくださりありがとうございます。せいさんをモジユメの会場へお連れするためお迎えに上がりました。と、心の中でそんな口上を述べながら好間町にある吉野家之墓に花を手向け手を合わせるのは、5年前に始めた言わば恒例の儀式。覆うもののない墓地はまさに炎天下。次から次と噴き出す汗に全身を水浸しにされながらも、自然と背筋が伸びるこの時間が「モジユメな土日」を駆け抜ける自分には必要だ。

 講座前日の会場設営は例年午後の早い時間帯から行われ、装飾が完成した会場で最終の打ち合わせやリハーサルを済ませるのが常だったが、今年は会場として使用する生涯学習プラザの大会議室が夕方まで使用できないことになっていたため、14時から17時までの3時間は同じビル内の別の部屋で細かい準備物の支度や打ち合わせを行うことになった。
 徐々に集まり始め、そして揃ったスタッフたちが切ったり書いたり編集したりと、それぞれの作業に黙々と打ち込み始める。半年にわたりオンラインで言葉を交わしてはいたものの、目の前で各々の表情と息吹を感じながら講座の仕上げを進めるこの時間は、活字が実写化されていくような感動があり、胸が熱くなる。
 この時間、スタッフたちを驚かせたのが、今年は参加が叶わなかったスタッフの小澤が2歳になった娘を連れて顔を出してくれたことだった。この数日前に彼から「少し顔を出せそうなので、お邪魔してもいいですか?」と連絡を受けていたのだが、ほんの悪戯心からスタッフたちには内緒にしておいた。だから、彼の登場はサプライズ。住まいのある茨城から、モジユメだけのために親子で常磐線に揺られてやってきたのだと言うから泣けてくる。
 今でこそスタッフの彼も、かつてはモジユメ受講生の一人だった。しかも、彼が受講してくれたのは2009年に開かれた記念すべき第1回目のモジユメだ。当時中学2年生だった彼が、15年の時を経て娘と共にモジユメの会場を訪れる。講師として感慨無量だったことは言うまでもない。

 17時からの会場設営はここ数年のスタッフたちの経験の積み重ねによって、実にスピーディーにテキパキとこなされていった。とはいえ、言うは易く行うは難し。講師の気ままなデザインを実際に形にするためには創意工夫が必要となる。両面テープや養生テープを駆使して布や紙を貼り付けモジユメの世界を組み立てるスタッフたちはもはや熟練の職人。頭が下がる。
 今年は開講15周年とあり、会場デザインをイメージしている間じゅうずっと「生誕祭」という言葉が頭にあった。昨年までのカラフルな会場とは対照的に、暗闇の中に暖色の光が灯るだけの黒がベースのシックなデザインにしたのは、神聖な教会のような空間にしたかったから。かつて観に行ったHYDEさんの黒ミサのステージに憧れていたことも影響したかもしれない。

 この日の夜は雨が降った。会場設営をすべて終えて、光るアスファルトの上を駆け足で辿り、男性スタッフたちと共にネオン街の蕎麦屋で茶そばを啜って、ビールを一杯。小さな決起集会を早々に切り上げてホテルの部屋に戻った。
 数年前から、講座会場と同じビルの中にあるホテルに前泊して当日を迎えることを続けている。無論、移動が楽だし日中も楽屋のようにして部屋を使えるメリットがあることがその理由なのだけれど、会場の真上で眠り夢を見そして起きることで「実川れお」としてのスイッチが入るような気がしている。これも自分にとっての「モジユメな土日」に必要なことのひとつだと信じている。シャワーを浴びて髪を乾かしてから、急に思い立ってPCを開きトークショーで使用するスライドをいくつか追加した。あれもこれも加えたいと最後の悪あがきがしたくなる思いを打ち消してベッドに入る。若い頃と違って寝不足がこたえることは目に見えているので、日付が変わる前に就寝した。

 当日、起床してから行うことはホテルのレストランで朝食を済ませ身支度を整えることだけ。纏うものは予め決めていたのだが、予定していたものをすべて身に着け全身を鏡に映してから、Tシャツを急遽白いものから黒に替えた。いつもトップスは異なる色やデザインのものを5枚ほど用意している。万が一、当日気が変わったときのために張っている予防線のひとつなのだが、その「万が一」がまさに今年起こった。東京の自宅で試着したときは間違いなくこれだと思って選んでいたのに、なぜ気が変わったのだろう。明確な理由はわからない。でも、当日になってもアップデートしていく感覚が「モジユメな土日」らしいと感じられて満足だった。頬を叩き気合を入れてから会場に向かった。

 会場内の最終チェックを終えて、スタッフ全員と円陣を組んで掌を重ね「頑張ろう!」と叫ぶ気合入れを行う。その後は照明が落とされた舞台袖(会場正面スクリーン脇の空間)で、待機用の椅子に腰かけてただひたすらにコンセントレーション。1人、また1人と増えていく受講生たちの気配を壁の向こうに感じながら、静かな気持ちで開講までの30分を過ごす。失敗を恐れた張り詰めたものではなく、憧れのアーティストのコンサートの幕が開く直前に感じるような心地よい緊張がある。自分が舞台に踊り出るというよりは、受講生たちが見せてくれる新しい景色を見に行く感覚。これは長く続けさせてもらえたからこそ味わえるようになった緊張なのかもしれない。15年前はもっと初手なりのナーバスな気持ちもあったはずだ。

 10時きっかりに、オープニングの映像が流れ始める。かつて受講生だった動画スタッフの藤原が思いを込めて仕上げてくれた作品だ。モジユメとは何かをAIに問いかけるような演出を盛り込んでほしい。そんなリクエストをしていた。イメージ以上の形になって届けられたオープニング動画は、講座が生まれてからの15年の歴史も伝えてくれる。砂嵐の中に過去のモジユメで実際に繰り広げられた数々のシーンが浮かび上がり、映像の中に吸い込まれていくような不思議な感覚に見舞われる。砂漠の中に突如としていにしえの都が蜃気楼のごとく姿を現したようなかたちで、ついに今年もモジユメが始まった。

 前説や主催者挨拶が終わると、あっという間に出囃子が鳴り始める。すっくと立ち上がって、スクリーン脇からステージの中央に歩いて向かって拍手に包まれる。一礼して頭を上げると、見覚えのある顔、初めて見た顔のあることを徐々に認識し始める。でも、そこからしばらくの間はその一人ひとりについて深く考えていられる余裕はない。時間は限られている。とにかく淀みなく言葉を発し繋いで進行していく。ここからずっと台本なんかないので自分の中から浮かんでくる言葉を信じて頼りきるのみ。
 モジユメ2024のはじまりはじまりだ。

(後編に続く)


講師の待機場所「舞台袖」から見た会場内

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