見出し画像

些細なことも綺麗だと思える人は、心も綺麗だ。

「めっちゃ手が冷たいんだよね」と言うと、「手が冷たいのは心が温かい証拠だよ」と言い返されたことがある。優しい嘘だと思う。真相はわからないが、たぶん間違っている。単なる冷え性だ。

これと同じように嘘なのは重々承知だが、「些細なことも綺麗だ」と思える人は、心も綺麗だ説を唱えたい。燃える夕日や道端に咲く花など、簡単に見ることができるものに対しても、美しいという感情を抱ける人。そういう人はたいてい心も綺麗だ。

嘘だと言ったのは、心が温かい人も、心が綺麗な人も、反対に、心が冷たい人も、心が汚い人も存在しないからだ。いや、存在しないというよりかは、状態でしかないと思う。誰しもが心が温かい、綺麗な人になることもあれば、心が冷たい、汚い人にもなりうる。生まれてから死ぬまでずっと心が同じ状態であることはない。その時々で変わるもののはずだ。

例えば夕日を見たときに、綺麗だなと思えるときとそうではないときがある。新卒で入社した会社に勤めているときの休日に見る夕日は、どうにも好きになれなかった。休みが終わってしまう感じがしたからだ。会社に行くのが嫌で、夕日を見るたびに焦った。一日が終わってしまうことに寂しさを感じた。綺麗だと思うことはほとんどなかった。

今日の夜、川辺をランニングしながらビルがキラキラと輝いているのを見て、綺麗だなと思った。それと同時に、自分の心はいま、綺麗な状態にあるのかもしれないとも思った。できればこのような状態を維持したい。冷え性は早く治したいけれど、心は温かく、綺麗な状態に。ずっとは無理だとしても、できるだけそうありたいと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?