見出し画像

500円のお弁当。

週に3日ぐらいは行くお弁当屋さんがある。お弁当の値段は400円から600円ぐらいだ。唐揚げ弁当、とんかつ弁当といった定番のものから、にくじゃが弁当、オムライス弁当など少々珍しいものも売っている。おかずもたっぷりと入っているし、ごはんの大盛りも無料だし、自炊が苦手なぼくにはもってこいのお店だ。あめちゃんをひとつおまけにくれるのもポイントが高い。

お弁当をむしゃむしゃと食べながら、儲かっているのだろうかと余計すぎる心配をしてしまった。肉じゃがの大きなじゃがいものを掴みながら、「これが50円ぐらい?」とか、食後にあめちゃんをなめながら、「1個10円ぐらいか?」とか想像してみた。ざっと計算すると、500円のお弁当一個売って利益はだいたい100円もない。たしかお弁当屋さんには2人の従業員がいたはずだ。1日1万円の人件費がかかるとしたら、一日に200個ほど売らないといけない。200個も売れているのだろうか。と出口のないトンネルをウロウロするように、頭の中で考えていた。

お弁当屋さんのお弁当が置かれているテーブルに張り紙が貼ってあり、小さくこう書かれていた。

「原材料が値上がりしたため、お弁当の価格も若干変更します。ご了承ください」

了承なんて得る必要はないじゃないかと思った。自分たちが苦しくない値段で売ればいいんだよと言いたくなった。500円ぐらいで売り続けてくれたらありがたいけれど。

ある商品やサービスに付けられる値段には、さまざまな背景があるんだと思う。利益を追求している、他社に負けないように、お客様に喜んでもらいたくて。どれが良くて、どれが悪いということはない。どんなものであっても熟考した上で決めた価格なのだ。

そんな背景を感じながら、お金をもっと気持ちよく払えればと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?