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自分の見える世界が変わったのか。それとも、自分の見られ方が変わったのか。初めてコンタクトをつけた時のことを、私は今でも鮮やかに思い出せる。

 
自分の見える世界が変わったのか。それとも、自分の見られ方が変わったのか。初めてコンタクトをつけた時のことを、私は今でも鮮やかに思い出せる。

 2015年4月、私は生まれて初めて親元を離れ、新しい環境、新しい出会いに胸を躍らせていた。入学式が行われた記念ホールの前で照れながらピースをする鈍い赤のフレームのメガネをかけた私は、地味でダサかった。
 
入学式が粛々と進む中、こっそりと手元のiPhoneを覗くとちょうど通知がきた。

「みんな、どうする?」
「はよ抜けよー西側の入り口に集合な」
「おけ」

その後いくつか続いた了解を示すスタンプに倣って、私もダウンロードしたばかりのスタンプを送信し、「すいません。すいません。」と椅子と人の足の間を掻き分けながら入り口へと向かった。

「はじめまして」
口々に交わし、お互いを窺い合う。入学前にtwitterのプロフィール欄で同じ大学同じ学部の入学者を探し、そこからつながった人達で構成された女子のグループLINE。その初顔合わせだった。

 見知らぬ土地で早く友達が欲しかった私は、ものすごく気さくかつ明るく声をかけた。それこそ、その地味でダサい見かけにそぐわない程の勢いで。その結果、都会の洗練されたお洒落女子から気持ちのいいぐらいにドン引きをされてしまった。私の大学生活1日目はどうにも順当な滑り出しとは言えなかった。
 

実は当時の自分は自分の見た目がものすごく地味でダサいということに気づいてはいなかった。しかし、自分の見た目と中身のギャップに驚かれてしまったということには気づいた。「変わろう」と思った。
 

 そして次の日には緊張した面持ちで診察の順番を待っていた。瞳孔に迫る指がどうにも恐ろしく、コンタクトをつけられないまま10分くらい格闘をし、もう無理なのかと諦めそうになった。しかし未知への好奇心と変わりたいという欲求が、生理的な恐怖を凌駕し、やっとのことでコンタクトは私の瞳に吸い込まれていった。「いかがですか?」格闘に付き合ってくれた看護師さんが、鏡を手渡してくれる。何年かぶりに、メガネでもなく、曖昧に輪郭が歪んだわけでもない自分の顔は、他人の顔のようで新鮮に感じた。そして、眼科を出た瞬間私は思わず小さく「あっ」と声にしていた。メガネのフレームに囲われていない世界はなぜだかとんでもなく自由に感じたのだ。瞳に直接感じる光や風が嬉しくて、スキップでもしそうになりながら帰路に着いた。
 

それから私は自分でも変われるということが嬉しくて、メイクを覚え、自分に似合う洋服を探す喜びに目覚めた。初めて恋人もできた。気づいたら、あの時どん引きしていたお洒落女子は仲の良い友人になっていた。
 

コンタクトレンズをいれたあの時から私の見える世界は変わったし、自分が見られているという意識によって自身が変わったのだった。




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