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騙されること

騙されたことはあるだろうか。

「騙されるのは自分に隙か非がある」と思っていることを認めた上で、本当に恥ずかしいことを言うが
私は昔から何度も騙されている。お金も取られ続けている。

お金での騙された、では まぁ、どの世界にもどんな方向にも上には上がいるので被害者面は全くできないが、至近では$5000(強)騙された。恥ずかしい。めちゃくちゃ恥ずかしい。でもそれが、五千万円、じゃなかったのは(本気で)ご先祖様とかが守ってくれたんじゃないかと思っている。

お金もかなりダメージあるが、ほかの「騙される」は心のダメージがデカい。自分でももう記憶の引き出しの奥の奥に詰め込んで、2度と見たくないから仕舞い込んだことも忘れた。

生きてると 騙されてしまうことがある。相手がなにを思ってそれをやっているかまではわからない。でも どこかに嘘を感じながらも 信じる方を選んだ自分の責任を知っているから 罵ることも出来ない。自分が選んだ結果として受け取らねばならないと思うから、悔し涙は血の臭いがする。

だからこれを読んだとき、岸田さんと同じ気持ちとはとても言えないけど 私の記憶がすごい怒りを連れて襲ってきた。

他人を裏切り騙し何かを得ようとか、そういうものを軽蔑する。
誰かの信用や信頼を地面におとして踏みつけて笑う人間は 人間じゃない。

でも同時に思う。
頭から相手を信じず全て疑ってかかる人間になりたいとは、これっぽっちも思わない。
そうなれと言われたら、また傷ついても騙されるほうを選ぶだろう。

騙されてやり返してやろう、も、実はあまり思わない。自分が選んだ事が間違いだったんだ、と思っていることもあるけど、人生の運を減らさないためには少しずつ 損をしたり傷つくことがどうせ必要だし。
やり返す、なんてしてたら、さらにマイナス加点になってしまうではないか。

騙されること、は出会い頭の事故だ。
ただ人生の交差点を通りかかったときにぶつかられてしまった貰い事故だ。
自分に関しては出来るだけそう思うようにしている。

そして騙されたのがお金で大きくマイナスになったら「損失貯蓄」と思うようにしている。いつかどこかで失う予定だった大金を先に「損失計上」して利息をつけて将来の大きな損失をカバーする、という誠に自分勝手な理解。

でも50年生きると、それがなまじ間違いでもない事に気付く。

だから今も、信じると決めた人に騙され涙しながら「おかげでこの100倍の苦しみを逃れる早期支払いをしました、ありがと!」と思う。
こういう私は結構、アホかもしれないなぁと思っている。

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