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楽観主義と祈りと

夕食後に食器を洗っていたら携帯電話が震えて着信を知らせる。
右手を拭きながら相手が見知らぬ人ではないことを確認した。夫だ。
応答ボタンをスライドさせたら、指先がまだ水滴を持っていたのか、指をひいた跡がすぅっとつく。

左手がまだ濡れているのでスピーカーホンにした。

「もしもーし、どうしたの?」

「あ、あのさ、スクラブで通勤するなって言われるから、服、取りに帰るわ」

声のトーンがリラックスしていることにホッとする。

夫は今 家から少し離れたゲストハウスに一人暮らししている。今のウイルス騒ぎで、毎日重症者を診るから、家族にうつしたくないという配慮で。

スクラブというのは 医療モノのテレビドラマなどでみるかもしれない、布を直線に縫い合わせただけの、パジャマみたいな服。大抵病院の方で綺麗に洗ってあり、汚れたらすぐ着替えられるようになっているのだ。うちの夫は15年以上、毎日帰宅前に新しい洗濯されたスクラブに着替えてきて、翌朝またそれを着て出勤するというのをやっている。そのまま1日をその服で仕事をし、また帰宅前に着替えていく。
なので、理論上は「普段着よりキレイ」なのだが、このご時世、一般の方が怖がることをしてはいけない、ということらしい。

この別居が始まってから、毎日家族の誰かが夕飯や足りないものを夫へ届けている。今日はもう息子が届けたけれど、もう1度、今度は私が行くというのは別に苦にならない。

「服なら私、持っていくけど?どの服を持っていけばいい?」

「ジーンズでいいや、あとは上着をまだ着てるから良いでしょ。・・・ああ、いいよ、家に戻るから」

夫も少しは自宅の様子も外から眺めたいのかな、と思ってそのまま電話を切った。が、すぐ「なんてことを理由に考えてるんだ」と自分を諫める。変なことは極力考えないと思ってるのに、ふと考えてしまうんだな。

洗い物を終え、頼まれたジーンズを玄関先に置きキッチンに戻る。

今みたいなときに淡々と、普段と変わらない態度でいることはある意味 私の祈りであり自分を落ち着ける鍵だ。この日々が大きく変化することのないように、と。

夫が戻ってくるまでに済ませよう、そう考えて食器の片付けに入った。

       *

外で車の音がする。ガレージドアのほうから家の中に入ってくるのだろうか。
いや、「ウイルス」の話をしているときだ、多分それはないな、と思ったとき玄関のチャイムが鳴る。

電気をつけ、ワイプを持った右手でドアを開け、左手にある畳んだジーンズを差し出す。

「ありがとう」

手を伸ばして受け取る夫はとりあえず元気そうだ。いや、体調の変化があるとは聞いていないからそうなんだけれど。

「マスクしてなくていいの?」

「あー、距離置いてればね」

既に夫は玄関から数歩離れている。そりゃそうだな。

「なにか、足りないモノとかない?」 

「足りないモノ?・・・・大丈夫かな。なんかあったら電話する」

「わかった、気をつけてね」

もう黄昏時で、返事をするように少し手をあげる夫の顔はすこし暗くてよく見えないが、笑顔をみせているというのはわかる。

顔をみて、文字通り一言二言を交わして10秒ほどか。ワイプでドアベルを拭き、夫が車のほうに歩いて行くのを見送りきらずにドアを閉める。ドアノブも念のため拭き取る。

ああ、また要らないクセを。いつでも帰ってくるから、みたいな態度を。

       *

健康な人は感染しても大体軽症で終わるか、肺炎を起こしても治癒率は高い。それでも日々 何人もの最重症の感染者を診ているのだ。各国で命を落とされた医師数も増えている。夫のことが心配にならないわけがない。だが私が心配を見せてどうする、とも思う。感染して重症化する確率は低いんだ。

ああ、嬉しくないなぁ、この感覚はいつか感じたことがある。今の方が緊迫感も実際に起こりそうなんていう感覚も ずっと薄いけれど。

       *

結婚して第一子を授かって、だが私は出産ぎりぎりまで日本で仕事をしていた。1週間ほど経てば夫が日本に私を迎えに来て、そうしたら二人で一緒に夫がその当時住んでいたマンハッタンに引っ越していく予定だった。

遅い時間に仕事を終え、まだ広げていない段ボール箱が積まれた家に帰宅した。足の踏み場がなくなりつつある部屋で、いい加減荷造りを始めなければ、と思いながらテレビを付けた。ニュースをやっているはずの画面にアクションものか、と思うようなシーンが映る。火曜に映画なんてやっていたっけ?朝にチャンネルを変えてしまっていたかな、と思いリモコンをとってNHKに合わせる。同じ画像が映る。
初めてあれ?と思い、チャンネルをまた変える。違う角度の同じ様な場面が映る。そして驚くことに黒煙を上げたビルに一機の飛行機が突っ込んでいった。

9.11(September eleven) だった。

夫の住んでいたところも職場もミッドタウンだったから距離があることはわかっていたが、その後2日半連絡がとれなかった。(単に緊急事態宣言のために、医療者は病院に缶詰だったのだが)

そうだ、あの時の感覚だ。大丈夫だ、大丈夫なはずだ、と思う気持ちと最悪のことを覚悟する自分。ぐるぐる世界が回りそうなのにフツウの顔をしてフツウに仕事をした。

       *

Optimist(楽観主義者)というのは単に脳内花畑なわけではない。少なくとも私は1度、考えられる最悪を見定め、そこに至る確率を感覚で考える。同時に、その最悪パターンで自分のやるべきこと、出来ることを考える。それが出来るからこそ、楽観的になれる。
最悪の状況でも自分は動ける。だけど最悪のこととなる確率は低い。だから起こる確率の高い事を考えよう。 そうやってあの時も日々を過ごした。

       *

ツイッターでは今日も誰のせいだとか、感染を確定する検査をもっとしろとか 移動出来なくなる前に国民を戻せとか言っている。最初に分かった国が隠していたからだ、とプロパガンダに乗っかった意見をそのまま書いているひとも。正直そんなのは全部些末だと思ってしまう。というか本当にどうでもいいことなんだ、そんなもの。

全ての病気で、ヒトが命を落とす坂道を転がり始めるとき、やることはほとんど一緒だ。そして今の問題のウイルスはまだ治療と呼べる治療がない。ワクチンもまだだ。
そのときなにが大事か・・・国に何人「確定感染者」がいるか、ではない。何人の「呼吸管理が必要な重症者が出るか」だ。その数こそが 全世界で減らそうと目論むものなんだ。医療崩壊は 最後の最後の場所でおきたら手が付けられない。

医療崩壊には3つの要素が絡む(少なくとも今の私には考えられるのはそれくらいなんだが)。ベッド数、医療資源、そして医療者の数。

感染して自宅では様子が見ていられないほどになったひとは入院しなければいけない。ベッド数の多い日本でも、既に他の病気で入院中のひともいるのだから、それほど余裕があるわけではない。また感染症患者さんの場合、どうやって他の患者さんとエリアを分けていくか、は簡単なことではない。

医療資源、これは呼吸器だとかECMOという人工肺だったりするが、これもいくらでも準備されているわけではない。挿管・呼吸器管理の必要な重症者の数が問題だ、と言っている理由はここだ。

そして人的資源:医療者数。本来ウイルス感染者との「濃厚接触」が疑われると医療者だって2週間隔離が「理想」だ。だが、今回の夫の職場のように感染が疑われるスタッフが多すぎると病院が動かなくなるから、苦渋の決断で皆、そのまま働いている。人的資源確保は、結構簡単に崩れる部分だ。


今日もこのエリアは比較的静かに1日が終わった。市の方針が一般のひとの外出自粛から外出制限になったくらいだ。

明日も 街におおきな変化が訪れず、夫が特に体調を崩さずいてくれたら、それだけで私は嬉しい。だから明日も「淡々と普段どおり」を装うだろう。それが意味のないことと知っていても、私なりの祈り方だから。


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ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーより、原田 透 / Toru Haradaさんの作品をお借りしました。

2021年12月追記
この文章は2020年のパンデミックがようやく一般に知られるようになったくらいの頃の、アメリカの集中治療医をやっている夫とその家族だった私の記録です。様々な点でまだ分かっていなかったことが多く、医療職にあった私達も同様でした。そのような時期に記録したことなので現在の一般社会の認識とはかなり違ったところがあることをご承知下さい。









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