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今週の日記|不要不急とワークライフバランスのゆくえ

3月4日 哲学の不在

いま、この「息苦しさ」の要因を突き詰めてゆくと、そこにあるのは、これまで深く考えることもなくできていたすべての行動について、それが「不要不急か否か」と問いただされ、仕分けするよう迫られることの理不尽さであるように思える。

東京ではまたしても2週間の緊急事態宣言の延長が決まり、このままずるずる続くのではないかという先行きの見えない不安に息苦しさも増す一方だ。

さっき「理不尽」と言ったが、じっさい仕事や生活必需品の調達、通院といった用事を除けば、ぼくらの日常の大部分は「不要不急」から出来ていると言ってよい。正確に言えば、100%の不要不急や必要至急は少なく、大半は不要不急と必要至急とが入れ子状になっているのが現実だろう。

それに、もし旅行も会食も、演劇やライブを観にいったりスポーツ観戦することもすべて「不要不急」として仕分けせざるをえないとしたならば、ぼくらの労働のモチベーションのかなりの部分は不要不急の用事のためとさえいえるかもしれない。

逆に言えば、このままずっと不要不急の外出を控えなければならない状態が続くのであれば、ワークライフバランス的には「これまで通りに働くのは馬鹿馬鹿しい」という結論にならざるをえない。

思うに、いま政府がやるべきは、昨年来のコ●ナ禍によって崩れてしまったワークライフバランスを整えることであり、それはつまるところ「不要不急」とみなされるような行動の意味を問い直し、それにかかわる事業者をしっかり支えることでこのような状況下にあっても事業が継続しうるような方策をともに考え、またサポートすることにある。

ウィリアム・ジェイムズが言うように、「見慣れたものを見知らぬもののように扱うこと」が哲学的思考の作法であるとしたならば、これまであたりまえとしてスルーしてきた物事をあらためて洗い直すべき時期にさしかかっているいまこそ哲学の出番なのではないか。コ●ナ禍を乗り越えるためには、科学的知見だけでは不十分で哲学が必要とぼくが考えるのはそれゆえである。

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