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日没を愛でながら成熟について考える。

155.青の時間

これはもう、たぶんみんなゴンゴン頷いてくれるものと思うのだけれど、一日のうちで「日没前の数分間」がいちばん好きな時間帯です。

夜明け前の、いわゆる「ブルーモーメント」と呼ばれる数分間もたしかに捨てがたい。ただ、その時間はたいがい爆睡中。ゆえに、日没前とくらべるとおなじ「ブルーモーメント」とはいえややなじみが薄い。

エリック・ロメールの『レネットとミラベル4つの冒険』というオムニバス映画のなかに、その名もずばり「青の時間」という作品がある。田舎に住んでいる女の子が、バカンスで都会から遊びにきた友だちに「青の時間」を見に行こうよと誘うお話。

ネタバレになってしまうのであらすじは控えるが、もしこの映画を観て、誘った女の子の気持ちが「わかる、わかる」というひとがいたらたぶん仲良くなれそうだ。あまり会ったことないけれど。

初めて白夜のフィンランドを訪れたときのこと。深夜、ずーっとブルーモーメントの時間がつづくのが嬉しくて、一晩中カーテンを開けっ放しにして寝ていた。白夜のせいで不眠症になるひとも少なくないと聞くのに、バカである。

と、まあ、こんなにも「ブルーモーメント」を愛しているというのに、長いことそんな日没前のひとときを愛でるという習慣がじぶんの生活にはなかった。去年まで20年ちかくカフェをやっていたせいで、夕暮れどきは店にこもって仕事していたからである。

それがここ最近、つまり家で過ごす時間が長くなったせいで、「ブルーモーメント」を愛でるよろこびを再発見することになった。日没前の小一時間、窓辺のいすに腰かけて、ただぼんやりと空の色の移ろいを眺めて過ごすだけなのだが、日々のくらしの中で凝り固まってしまったものがホロホロと崩れてゆくようなそんな心地になる。ときには、好きな音楽をiPodで流したりもする。とてもとても贅沢な時間だ。

ところで、この「ブルーモーメント」をいまの時代に重ねて語るひとがいる。たとえば昭和30年代、つまり前の「東京オリンピック」が開催された時代は、さながら夜明け前のブルーモーメントであった。

まさしく、経済のめざましい発展はさながら陽がこれから昇らんとする勢いをもっていた。それに対して、いまはどうか。

もしかしたら、「東京オリンピック」が開かれる(開かれないかもしれない)2021年は、ブルーモーメントはブルーモーメントでも日没前のそれなのではないか、と。

にもかかわらず、本心かどうかはともかく、さもこれから長い夜が明けるかのように振る舞うひとは少なくない。しかし、これは自己欺瞞だ。

夜明け前には、来るべき未来へのワクワクとした期待感がある。若者が、じぶんの将来に思いを馳せるような感じ。

それに対して、日没前には日没前の処世術というのがある。成長の歩みをゆるめ、じぶんにとって本当に必要なものにより心を砕いたり、立ち止まっていままで見過ごしていたものにあらためて目を向けてみたりといった態度である。それは、成熟と言われる。

量よりは質、スピードよりは熟考をもって世界の深度を測る、いまぼくらにとって必要なのは、あるいはそういった「ものさし」なのかもしれない。

ところで、日没の先に待っているのは夜である。そして、夜といえばおとなの時間だ。おとなにはおとなの楽しみがある。

そういう目線でいまをポジティブに語ることのできる、「青の時間」にふさわしい政治家、実業家、そして芸術家の出現をぼくは心待ちにしているのだが。

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