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喫茶ひとりじかん

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喫茶ひとりじかんとは。一杯のコーヒーがつなぐ人と人とのゆるやかな関係、気配を読み、また小さな声に耳を傾けるカフェの接客を応用した「居場所づくり」のためのプロジェクトです。町のそこ… もっと読む
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#カフェ

カフェに身をやつす居場所づくり

カフェに身をやつす居場所づくり

サード・プレイスとは、社会学者レイ・オルデンバーグによると

「とびきり居心地のよい場所(Good Great Place)」

「人びとがほかのどこよりも自然体でいられる集いの場」

「中立領域」

「庶民の治療薬」

「利己主義と利他主義の完璧な融合」

ということになり、その例としてイギリスのパブや、フランスやオーストリアのカフェ、あるいはリバーパークというアメリカの小さな町にあったメインス

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喫茶ひとりじかん、継続開催が決定しました。

喫茶ひとりじかん、継続開催が決定しました。

喫茶ひとりじかんの継続開催についてのお知らせです。

昨年9月より、3回にわたって板橋区ボランティア・NPO活動公募事業として開催した「喫茶ひとりじかん」ですが、このたびMUJI com光が丘ゆりの木商店街店様の全面的協力のもと引き続き開催させていただくこととなりました。

会場はこれまで同様、板橋区赤塚新町3丁目の光が丘MUJI BASEです。無印良品がリノベーションした広々として快適な空間とな

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無印良品のwebサイトにて「喫茶ひとりじかん」をご紹介いただきました。

無印良品のwebサイトにて「喫茶ひとりじかん」をご紹介いただきました。

無印良品(MUJI)webサイトのイベントページにて、次回「喫茶ひとりじかん」のご案内をしていただいております。

初回イベント時のコーヒー教室「お家でコーヒーを楽しむ4つのコツ」の写真もいくつか掲載していただきました。

11月26日火曜日の喫茶ひとりじかん(第3回)では、コーヒー教室とフィンランドのお話はありませんが(上記サイトでのご案内から変更になっておりますのでご了承ください)、

エスト

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喫茶ひとりじかんはコミュニティカフェではない。

喫茶ひとりじかんはコミュニティカフェではない。

喫茶「ひとりじかん」はコミュニティカフェではない。

ところで、コミュニティカフェとはなにか。コミュニティカフェとは「通常のカフェや喫茶店とは異なり、利用者同士が交流したり、情報交換したり、〈つながり〉を作ったりすることを大切にする場所」である(田所承己「コミュニティカフェとモビリティーー地域空間における〈つながり〉の変容」『〈つながる/つながらない〉の社会学』所収)。つまり、そこでは〈つながる〉

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ひとりじかん #001

ひとりじかん #001



フィンランドの首都ヘルシンキ、ムンキニエミ地区のカフェにて。

冷たい雨が降りしきる午後、あたたかいコーヒーで暖をとる人びと。フィンランドのカフェはBGMがないし、そのうえお一人様が多いので店内はとてもひっそりとして心地いい。静かだが、決してわびしくはない。

きっと、それぞれがひとりの時間を満ち足りて過ごしているからだろう。

フィンランド語で「カフェ」は「Kahvila(カハヴィラ)」とい

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第2回「喫茶ひとりじかん」

第2回「喫茶ひとりじかん」

MUJI BASE光が丘にて、第2回「喫茶ひとりじかん」を開催しました。

この日は終日冷たい雨、しかもまるで開始時間に合わせたかのように土砂降りになるという意地の悪い空模様ではありましたが、前回のリピーターに加え新規のお客様も7名(うち男性1名)ご参加いただき、自然に参加者どうし交流が生まれるなごやかな時間となりました。

実は、初めての開催となった前回の参加者は、すでに地域の活動に参加していた

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ある人たちにとってカフェとは

ある人たちにとってカフェとは

ある人たちにとって、カフェとは、いざとなれば逃げ込める避難場所であるらしい。

これは、でも別に珍しいことでもなんでもなくて、サードプレイスとか都市のアジールとか、これまでにも繰り返し言われてきたことと変わらない。でも、そのことをつい最近、僕はオカダさんがポツリと漏らしたひとことを通して思い知ったのだった。

もう、東京にいる意味がない。moiがなくなると知ったオカダさんは、たしかにそう言ったので

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ただ居られるだけの場所をつくる。

便利なのでつい使ってしまいがちだが、言うまでもなく「居場所」という場所があるわけではない。それは話をわかりやすくするための、まあ、符丁のようなものといっていい。

居ることで、そこははじめて居場所になる。

居場所をつくるということは、人が行きたいと思い、そこに居たいと感じ、実際に何をするわけでなくただ居られる場所を用意するとともに、そこが「居場所」になるまで耕し続ける不断の営みのことをいう。要す

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僕は声が小さい。

僕は声が小さい。

僕は声が小さい。なので、よく知っている。この世界では、社内会議でも、あるいは他愛のない口喧嘩や定食屋の注文でも、声が大きい者の主張ほど通りやすいということを。

この場合、その主張が正しいかどうかはさして重要ではない。その声が「届く」かどうか、それが肝心だ。

だいたい、届かない声は何も動かさない。動かさない声は目に見えない。そのため、それは最初からこの世界に存在していないものとして扱われがちであ

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高齢者まで12年。

高齢者まで12年。

高齢者。

社会制度的には、あと12年も経てば自分もそう呼ばれることになる。ある日そのことに気づき愕然とした。

もともと年齢という概念には疎い方だ。ひとりっ子だし、運動部に属していたわけでもなく、組織ではたらいていた期間もさして長くはない。というか、むしろ新卒がまったく入ってこない職場だったので、「永遠の若手」として「プロジェクト」という名のありとあらゆる雑用に駆り出されていた。そのせいか、日頃

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