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BON

お盆時期と終戦記念日が重なっているのは何の因果か、と思う。
私の地域のお盆は新暦なのでね、しみじみ。

原爆がなければ、戦争に負けたとしたって終戦記念日はなかったかも?
って気はしているけど今回のポイントはそこではないので割愛するとして。

お陰で日本人は毎年この時期に、戦争の事を思わずにはいられないのではないか。戦争を経験していない人にとっては、悪い事ではない気がする。
御存命中の祖父母(または曽祖父母)が戦争経験者だという人は、当時の話を聞いておくべきだ。
あまりに悲惨過ぎて、決して戦地での体験を口にしない男性が多いかも知れないが、まぁ無理のない範囲で尋ねてみてほしい。

私は全部を聞いたわけではないけれど、結論としては、自分自身のルーツの奇跡さに驚いた。
戦争がなければ私は私として当たり前に産まれていただろう。
祖父2人の生還があまりにも奇跡すぎて、私も奇跡的に産まれたのだ。

極論を言えば、この地球上で最もいらない生物は人間だと思う。
ロクな事をしない。
地球サイドからすれば、数ある惑星の中で貧乏クジ引いた感があるだろう。
でもこれはあまりにも極論だ。
良い人間が大多数だと信じたい。
私もそう努めているつもりだ。

昔、とある宗教の勧誘で我が家を訪れた女性が
「このままいけば地球は滅亡してしまいます!生き残りたくないですか?
 皆で生き残りましょう!」といった旨を熱弁した。
対応した母は
「自分だけ生き残ってどうするの?シンドイじゃない。
 どうせなら皆で一緒に死のうYO!(^_-)-☆」と笑って返した。
すると勧誘の女性は少しの間考えてこう言った。
「確かに、その通りですね…。宗教って何なんでしょう?」

知らんがな。and 知らんがな。
もう、2回言っちゃう。

人間は何かに縋っていないと生きていけない生物だとどこかで見聞きした。
例え目に見えなくても神様(宗教)が必要らしい。
人間は、決して人の為には泣けない生物だと聞いた事もある。
悲しい事があって泣いている時は、「悲しんでいる自分が可哀想」だから泣くのだとか。それを知った私は、お葬式で泣けない体質になった。

メメントモリの本当の意味は「今を生きる」と知って目から鱗だった。
私は今を生きていない。
コロナにかまけていると言っていい。
奇跡的に産まれたのに。
今年のお盆は仏壇に向かって「ごめん」と言った。

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