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【読書記録】父親としての森鴎外 :森於菟 (著)

森鴎外つながりで読んでみた。

内容
森於菟は鴎外の長男であり、母は鴎外と離別した先妻である。於菟は、祖母によって育てられ、のち日本の解剖学の権威となる。その於菟が綴った鴎外一家の歴史と真実。一家の柱としての鴎外と父としての鴎外と人間としての鴎外を活写して余すところがない本書は、第一級の資料であると同時に、深く感動をよぶ一個の人間記録である。

目次
1 観潮楼始末記ほか
2 鴎外と医学
3 父親としての森鴎外

筑摩書房

森於菟(1889年ー1967年)
 東京帝国大学医学部・理学部で学び、終戦まで台北帝国大学(現・台湾大学)医学部教授をつとめた。戦後は東邦大学医学部教授・医学部長などを歴任した。
 森鴎外の長男。周知のように、この他に鴎外には再婚後の子ら(於菟氏にとっては異母妹弟)がある。
 森家の生活や教育方針、父鴎外の子や妻に対する配慮、鴎外自身の母や祖母に対する態度などが浮かび上がっている。また、当時の鴎外の弟たちとの付き合いや、観潮楼での、緑雨や石川啄木など、同時代の作家たちとの交流も描かれている。鴎外の作品からは伺うことのできない側面が明らかになっている。

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小倉の旧居を訪問して、鴎外の人となりが気になる。

軍医として日清・日露戦争に出征し、軍務後は帝室博物館(東京国立博物館)総長等の役職を担った一方、軍医になってから外国文学の翻訳を発表し、留学したドイツを舞台にした「舞姫」で小説家として一躍有名になった経緯をみると、4年近くの留学経験が小説を書くきっかけになったようにみえる。留学の様子は「獨逸日記」に記されている。

高瀬舟」は小学校(中学校?)の教科書に載っていたと思う。
それほど有名な小説家だが、生前に著作を業としたのは1〜2年で、仕事(軍医や役人)の傍らに筆を取っていたようである。

このあと帝室博物館(現:東京国立博物館)総長兼図書頭に就任した

改めて鴎外の小説を読むと、文章が自分の好みに合っていることに気が付く。

この本に書かれている鴎外が嫌っていた、いわゆる日本の「自然主義文学派」の小説は私も苦手である。
仕事をしながら書いたからではないとは思うが、中短編小説が多く、情景や人物の書かれ方がドライな感じで、私には読みやすい。

鴎外が小説を発表してから100年以上経ち生活様式は大きく変わったが、人が何かを思う基本的なところはあまり変わっていないと感じるのは気のせいか。

青空文庫でも読めるが(但し横書き)、Kindle Oasisで読みたいのでAmazon Unlimitedを利用している。

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長距離移動でも活躍した いずれその後の使用感もレビューしたい


MOH

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