見出し画像

選ばれるために書くのか、選ばせるものを書くのか。


公募を趣味としているので、定期的に文芸系の公募を見つけては応募している。実績としては大したもんではないというか、大小問わずで数回ほどの受賞歴。一回以上あるだけでもいいのかもしれないが、ただどの世界にも達人はいるもんで、変な話だが「公募のプロ」みたいな人が存在する。

川柳でもラジオCMでも「あっ!またこの人受賞してる!」ということがあるのだ。そしてやっぱり何度も受賞するだけあってクオリティが総じて高い。

考えるレベルが違うとか思考が深いとか、いろいろ理由はあると思うのだが、ふと気になるのが「こういう人は賞の特性に合わせたものを考えているのだろうか?」という部分。いわゆる「狙いにいっている」かどうかだ。

例えばM-1なんかでよく言われるのが「賞レース向けのネタ」という話。これは4分という制限時間、ボケとツッコミの手数の多さなどを考慮していると思われる。単独ライブでめちゃくちゃ人気なんだけどどうやっても8分かかる、みたいなネタであればM-1には使えないというわけだ。また4分のうち2分を伏線に使う、みたいな戦法もないこともないが、オチが期待したほどでなければガクーンと空気が盛り下がるので、どっちかというとどんどん笑いのポイントを増やす方向が多いと思う。

そういったブラッシュアップは公募でも行われているのだろうか。「このラジオ局は過去にスポーツネタが多いから試合中継風にしよう」とか「このスポンサーは商品名を連呼したパターンのほうが喜びそうだ」とか。地方ラジオCM公募のスポンサー賞(おそらくスポンサー自らが選ぶ賞)なんかではたまに「どこに面白みがあるのかわからんなコレ…」というやつがあったりするが、スポンサーの特性を押さえるという意味では正しいのかもしれない。

まあグランプリ作品級になるとさすがにそんなの関係ないレベルのものが多いとは思うんだが。ただ局によってはたまに「…え?」というのもあるのが奥深いと ころだ。

実際、どうですか?地方色とか審査員とかそのへん意識することあります?って自分がぽこぽこ受賞しているならこの質問に答えられるのだが。
自分が意識しているのはせいぜい「やたらと長いワードやサウンドロゴを必ず使用するように書いてるスポンサーは後回しにする」くらいだ。

全くテクニック的に役立たんなぁ。


サポートいただけた場合、新しい刺激を得るため、様々なインプットに使用させていただきます。その後アウトプットに活かします、たぶん。