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「無理やりひねり出す」ということについて。


ちょっと前に「〆切本」という変わった本を読んだ。
日本の作家が〆切について語ったエッセイや記事をまとめたものだ。
その温度感にはけっこう違いがあり、文中で〆切について少し触れられているだけのものもあれば、がっつりと「書けないので編集部に謝りに行く」という手紙まである。

夏目漱石から藤子不二雄(これはまんが道の1シーンが丸々掲載)、浅田次郎から西加奈子まで。いろんな作家たちの語る「〆切」を読んで思ったこととしては、
「ベストセラー作家だからといって自分から進んで書いているばっかりじゃないんだなぁ」
ということだ。なんというかこう天才扱いされている人たちは生みの苦しみは当然あるとしても、「とにかくあふれ出す創作意欲を満たすために書いている」というようなイメージがある。納得いくクオリティのために書き直すから時間がかかる、みたいなことはあっても、アイデアが出ないからとにかく逃亡を図るようなことはないのじゃないか、と。
 ひどいのになるとホテルでカンヅメされながら連載中の小説とは全然関係ない原稿を書いていて「これを渡したら逃亡してしまおうと思う」みたいな文が出てきたりする。しかも結構な有名作家だ。最終的にどうなったんだろう。

自分がラジオCMやショートショートを考えるときは、〆切はない。厳密にいうと応募締め切りはもちろんあるのだが、「何日までに何枚書いておけよ」と誰かから尻を叩かれるようなことはない。だからまぁサボろうと思えばサボり放題だし、考えつかないから今回はパス、となっても誰も困らない。ベストセラー作家がバンバン本を出すのを見ては「こういう人は無尽蔵にアイデアが湧くのだろうか、すげえなあ、いくらでも書きたいことが出てくるのだろうなあ」とのほほんとしているわけだが、「〆切本」を読んでちょっと考えが変わった。

世間では超名作と称えられている本ですら、ひょっとすると編集者に尻を叩かれて無理やり書かされたものもあるのかもしれないのだ。プロですらそんな感じなんだから、アマなんてもうすらすら出なくて当然。そう考えると逆に「ちょっと考えるかな」という気分にもなる。
無理やりひねり出して何が悪い。プロだってあれだけ苦しむし下手したらトンズラしたりするわけだから、アマが少々苦しむのは当然だ。
まぁ苦しかったらやめてもいいという点が大きく違うわけだが。

ちなみに村上春樹のエッセイもあったが原稿の締め切りに遅れたことは一度もないらしい。なんとなくこれはこれで納得。

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