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クリエイティブな仕事は無理でも

もう10年以上前になる、ある冬

友人が絵を描く様子を眺めているのが好きだった。
なんてこともない、ありふれた線が徐々に足されていく。
やがて「かたち」になって、こちらに微笑みかけてくる。
出来上がりとは強者である。
もうすでに線はありふれてなんかいない。
絵になり得なかった殴り書きや、選ばれなかった「かたち」、絵になることを夢見て、待ち続けているイマジネーション。
そんなものは一瞬でも存在したことがないかのように、
確固たる意志を持ってそこに存在し、
「それで?」と問いかけてくる。
「仕方ないなぁ」と負けじとストーリーを浮かび上がらせる。
人物は表情をコロコロ変え、風はそよぎ、花が次々と咲き乱れる。
世界に温度がある限り、分子は振動し続け、衰えることを知らない。

一方、自分で絵を描くことは苦手であった。
私から生まれてきた線を見るのは滑稽で、心底同情した。
どんなに素晴らしいことを思いついても、伝える手段がなく、もどかしく思っていた。

それでも一度、私にしてはよくできた作品があった。
先生は授業中に絵を描いている生徒を見回って、ひとりひとりコメントを伝えていた。
優しい先生だったと記憶している。
順番が少しずつ近づいてくる。
褒められたかったわけではないが、
これを見てどういう反応をするだろうかと思うと、背中の方にムズムズするような感覚が走った。
私の番が近づいてきて、それまで友人に見えないよう固めていた両肘をどけ、先生に見やすいように絵を動かした。
先生はたしかに覗き、絵を見た。
すると無言で一回通り過ぎようとした。
えっと思っていると私と目が合い、気まずそうな顔をして、
「うん、いいね」
と言って去っていった。
いいなんて、思ってないじゃない。
大したことないことだって、自分では分かっていた。けれど。
その瞬間、私の「かたち」は完全な敗者となった。
作品を綺麗に折り畳み、もう開けることのないランドセルの中にしまって、もう忘れることにした。

オリジナリティって何?

それから何年も経つあいだに、「なんか作りたい欲求」は度々やってきた。
他の人がつくったいいものに出会ったときに喜ぶと同時に、
なんだ、そんなことで良かったんだ。
てか、それ別に新しくなくない?
とか、ちょっと悔しい気持ちになった。
でも、

発想と批判だけでドヤるなよ

何もせずに、それ私も考えてたのになーというのは怠慢なんだな。
まず「かたち」をつくってみないと、認知すらされない。
発想から「かたち」になって、一個人が知るところまで辿り着くのがどれだけ大変か。。
想いを馳せると、虚無。
自分にはとてもできるものではない。
まあそれでもさ。どう評価されるかはともかく、うっかりと、丹念に、かたちづくってみよう。行動しよう。
何故なら、楽しいから。
案外世界は変えられる。

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