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責任逃れの最後


今朝現場に行く途中に元請けから電話が来まして、

塗装する予定の場所にお客様に移動お願いしていた車両があって

工事難しいがどうする?と連絡が。


昨日の段取りでは昨日夜に移動する打合せになっていたので

お客様に確認したか聞いたところ、いや、まだ聞いていないとの事。


結果お客様は朝移動すれば間に合うだろうと考えてたらしく、

無事車両移動でき施工は出来たのですが、今工事始まって以来、

些細な項目も私に確認取って来ては、自己決定できず

責任逃ればかり続くこの元請け担当が不思議でしたので

なぜ責任逃れが起こるのか。その先に何が待っているのか

考えてみます。


まず、責任とは

せきーにん【責任】

1 立場上当然負わなければならない任務や義務。「引率者としてのーがある。」 「ーを果たす」
2 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと
出典:デジタル大辞典(小学館)

とありました。今回はまさに1が該当するのですが、

活字で見ても脅されているようで怖い。

2なんかの、責めを負う状況は相手すごく怒ってますもんね。すでに。

誰だって責められるのは嫌なもんです。私も嫌です。



自分の失敗で起きた損失であれば謝罪も責めを負うのも納得できるが、

誰かの失敗の責任までは取らない。

自分の評価が下がるのが我慢ならない。

指示された事だけをやっていきたい。

などなどが心理としてあるのでしょう。



その場はそれで得をした気になるかもですが、

責任から逃げ回っている

期待できないので別な人選に代わる

価値がなくなる

クビ(極論ですが)



それに、指示された事だけをこなすようになると

技術が上がる事はないし、なにより

自分意思が無い訳だから他者にコントロールされて行くようになり

自分の人生なのに自由無いですよね。

他人に人生左右されたらすごく苦しい。


これからITが進んで人間対機械の仕事取合いになる

業種がでるかもと言われてるのに、どうするのでしょうか。

それでも今日が良ければ良いのでしょうか。




最後まとまらないですが

現代は個の時代。自分の人生位、自分はこれだ!と

表現できる様あらがって、悩んで、やってみる価値はある。

と言ってみる。






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