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親父へ

父が亡くなったのは去年の6月でした。
今日は親父に言いたい事あるんで書きます。


亭主関白、男子たるもの家事はしない、家長を敬え、酒も博打も好き、感謝も謝罪の言葉も言わない、自分の好きな様に生きてたな。
正直嫌いだったよ。
俺こそが全て。家族の意見は聞かん。
そんな風に見えてたな。

家族皆で夕飯食った後、酒が進むと「男は強くあれ。兄弟は仲良く」とよく言ってたな。
6つ上の姉と喧嘩になった時、ボロッボロに負けて
大泣きしてんのに、「男が負けんな!戦え」って
怒られて、親父も怖いからまた喧嘩始まるんだけどまた泣かされて。

いや、どっちだよ。兄弟は仲良くするんじゃないのかよ。6歳の俺が12歳の女の子に勝てると思ってたのか?あの喧嘩は痛かった。



仕事柄(競輪選手)、月の半分は家に居ず、たまに帰って来るとケガして包帯でグルグル巻になっていて
そんな痛い、苦しい仕事は俺には出来ないと
行った時の少し寂しそうな顔覚えてるよ。

辛いとか痛いとか弱音も聞いた事がないな。なんせ生涯風邪をひいた事が無いって言ってたもんな。
ゴホゴホ咳してても認め無ければ風邪にはカウントされないシステムらしい。

バカじゃない?って思ってたよ。当時は。
今その状態が風邪って言うんだよって。


きっと口だけ言っても家族食わしていけない。
思っているとかじゃなく守ってゆかねば
と必死に戦ってたんだな。
男だもんな、弱さ見せらんないよな。


4人兄弟全員競輪選手の次男で弟2人が若い時の競技中、落車して下半身不随となり障害をもったこと、

そんな中、兄は全国でも有名な選手になった事、
自分はそこまで成績が上がらない事、
どんなに頑張っても差が開く事、
兄にだからお前は駄目なんだと言われ悔しかった事。(叔父に葬儀の際聞きました)

「次落車するのは自分かも」そう思って不安になった事もあったろうな。
3番目の、叔父さん言ってたよ。親父が兄弟で1番優しいって。こんな体になったけど、親父に助けてもらってたって。


いつだったっけか、晩酌付き合った時、
「俺も息子と酒が飲めるようになったか。」
ってしみじみ言ってたよな。
親父が幼い頃の事故で父親いなかったからな。
「父親ってもんが俺居ないからわかんねーけどよ」って。
んじゃあ寝るわ、って居間出る時に
「おう。また飲むべや。たまには。」
って言われたけど、照れくさくって
返事できなかったよ。



なあ、親父よ。

俺はまだまだだなぁ。男なのにな。全然強くないわ。あんたの身体中傷だらけで、
クマみたいなでっかい背中は越せそうに無いよ。


家族も持った事の無い独り身で、自由気ままに暮らしてるしな、未だに。

口ばっか偉そうな事言ってな。会社が悪い、社長が悪いってな。ガキのまんまだわ。


何でだろうな、何で涙がでるんだろうなあ。
強く無いなあ、おれは。

酒くらい飲んどきゃ良かったなあ。愚痴の一つも聞いときゃ良かった。

1回も、ありがとう言えてねぇじゃねえか。
育ててくれてありがとう。って。


馬鹿野郎が、男が泣いてんじゃねーよって
あんたそっちで言ってんだろーけど。
照れくさいけど聞いててくれよ。


育ててくれてありがとう。
強いって教えてくれてありがとう。
人に優しくする大切さを教えてくれて
ありがとう。
















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