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[修行日記④] はじまりの地蔵院

 私は門前の「かいど※1」という食事やお土産を販売するお店で上山の身支度をさせてもらいました。「かつ丼でも食べて元気つけてったら~。当分食べられんよ~」とすすめられましたが、緊張と不安でもう何も口にすることができない状態でした。お店を出るまでの間、「頑張って修行してこい!」と送り出してくれた師匠、両親、兄弟、祖母、友人、お世話になった方の顔を思い浮かべ、遠く離れた場所で自分の修行を応援してくれている人たちがいるんだ、と自分を励ましていました。スマートフォン、財布など修行に不要な物をまとめ、いよいよ出発の時間です。「はい、行ってらっしゃい!」と背中を押され門前の坂道を歩きだしました。

 永平寺に正式に上山する前にまず安下処(あんげしょ)となる地蔵院に2泊します。地蔵院は、地蔵院接客というこさんおしょう古参和尚さんが持ち物の点検や山門・旦過寮(たんがりょう)での作法を教えてくれる所です。

 私はその日に上山する8人の1番目に地蔵院に到着しました。木版(もっぱん)を3回鳴らして到着を知らせると暫くして古参和尚(こさんおしょう)さんが中から出てきて「そんこう尊公、何しに来た」と聞いてきます。『これ、DVDで見たやつだ。』上山前に永平寺の修行についてあらゆる情報を得ようと調べていたので想定内の事でした。私は「二百十四番(にひゃくじゅうしばん)、長泉寺徒弟(ちょうせんじ とてい)、齊藤崇広(さいとうすうこう)です!! 修行をしに参りました!!」と日常ではあり得ないほど大きな声で答えます。それでも「聞こえない。もう一度」と何度か繰り返し、やっと地蔵院の中に通されました。「ここに正座して待ちなさい。」とだけ言われ「はいっ!!!」と言い正座しました。しばらくすると2番目、3番目の修行僧が到着し同じように「正座して待ちなさい。」と言われています。まずい、自分はこのまま8人が揃うまでこのまま正座していなければならないんだ…と気づきました。結局全員揃うまで1時間以上正座したままでした。

 こうして平成26年7番上山の8人が全員揃いましたが一切私語は禁じられているため、よくある「私は〇〇というものです。これからどうぞよろしくお願いします。」というやり取りはもちろんありません。これから私は7番上山の1番崇広(すうこう※2)として修行していくわけですが、後々硬い絆で結ばれていく8人がお互いに何処の誰かを知るのはだいぶ先の事になります。

(第五回に続く)

※1毎年何人もの修行僧を送り出してくれた思い出深い「かいど」さんは、残念ながら現在は閉店され永平寺参拝用の駐車場になっています。
※2僧名は音読みになります。

本山での規則、指導内容は当時のものです。

齊藤崇広
平成2年新庄市生まれ。
曹洞宗大本山永平寺での修行を経て、現在は横浜の寳袋寺で納所中。

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