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[修行日記⑤] 覚悟

 地蔵院での2泊3日の間、食事・入浴・お手洗い等あらゆる場面での作法、着物の着方、上山時の口上などを叩き込まれます。古参和尚さんの目を見てはいけない、聞かれたことには基本「はい」か「いいえ」で答え、それ以外の時は話す前に「失礼いたします」話の後に「失礼いたしました」を必ず付けます。話をするときはきちんと相手の目を見て話す事が常識と思っていた事がここでは完全に否定されるのです。そして自分が思っていることを自由にに発言することも許されません。今振り返れば、この様に自分の常識を否定される事が、「 娑婆の生活とは全く違う場所に入っていくんだぞ」と自覚させる為のものだったのではないかと思われます。数日前までの自由気ままな生活が遠い過去の事のように感じられました。

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 2日目の朝、目が覚めた時に見えた天井がいつもと違う事で、これは夢じゃない現実なんだ︙もう引き返すことはできないと覚悟しました。そして小食・中食・薬石と一日の食事を作法に従って実際に食べたのですが、すでにこの時点から空腹との長い闘いが始まっていました。「かいど」さんの『かつ丼食べていったら~』という一言がこの日から何度も頭をよぎることになります。

 3日目の朝、古参和尚さんから「上山の準備をしなさい。」と言われ、8人が黙々と準備を始めました。全員準備が整い出発です。厳しい指導をしていた古参和尚さんが最後に「頑張ってこい‼」と励ましてくれましたが、その優しい言葉の裏には厳しい現実が待ち受けていました。地蔵院の扉が開くと、そこは一面の銀世界・・・。「なぜ今日なんだ!」と天気を恨みました。積もった雪を草鞋で踏みしめながら空を見ることもなく古参和尚さんの後に続き進みます。 唐門の前で一人ずつ上山の記念写真を撮りますが、今見ると笑える位その顔には生気は無く虚ろな目をしていました。

そして平成26年3月8日、7番上山の8人は大本山永平寺の 山門に立ちました。(第六回に続く)

※1 ここでは俗世間、自由な世界という意味。
※2 新たに任命された住職(禅師様)が正式に入山する際に開かれる門。
※3 永平寺の七堂伽藍のうち最も古い伽藍。修行僧の正式な玄関で、上山の時と修行を終えて下山する時の生涯で2回だけ通る門。

本山での規則、指導内容は当時のものです。

齊藤崇広
平成2年新庄市生まれ。曹洞宗大本山永平寺での修行を経て、現在は横浜の寳袋寺で納所中。

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