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2度の流産のおはなし

31歳で結婚。
もともとこどもは大好きだったので、いずれは自分もこどもを・・・と考えていました。

32歳で最初の妊娠がわかった時は、夫婦で飛び跳ねるほど喜びました。

でも程なくして、お腹の中で成長していないと告げられました。
いわゆる『稽留流産』です。
この時、妊娠6~7週。
心拍確認前でした。

すぐに手術するように医師に言われ、事務所に連絡をしてスケジュールを確認。
クリニックに予約をとりました。
当然のことながら心が追い付かず、ただただ呆然とするばかり。

現実感がないまま日々の仕事をこなし、それから数日後に手術を受けました。

当日の朝は食事を抜き、腕に麻酔シールを貼り、クリニックへ。
オルゴール曲が流れる中で流産手術は行われました。

全身麻酔であっという間に眠くなり、気が付くと手術は終わっていました。

静かな病室のベッドで横になっていると、「ああ、お腹からいなくなってしまったんだ」という事実がブワッと押し寄せてくるのです。
涙が止まらなくなりました。

これが、最初の流産です。



それから1年近く経ったある日。
2度目の妊娠がわかりました。
もちろん、夫と一緒に喜びました。

でも考えるのはやはり前回の流産のこと。

今回も赤ちゃんが育たなかったら・・・?
同じような結果になってしまったら・・・?

不安を抱えつつ、クリニックに向かいました。

そして。

妊娠5週。
なんとこの日、赤ちゃんの心拍が確認できたのです。

ピコピコと動く心臓。
前回は見たくても見られなかったもの。

次は2~3週間後くらいに来てくださいと言われ、予約をとりました。

急いで夫に報告し、次の健診後には母子手帳がもらえるかな、元気に育ってくれるかなとあれこれ電話で話をしたのを覚えています。

でも、赤ちゃんの心臓は止まってしまいました。

妊娠8週目。
赤ちゃんの心拍は確認できず、成長もしていない。
2度目の『稽留流産』と診断されました。
心臓が動いているのを確かにこの目で確認したのに、どうして・・・。

この時も手術を勧められスケジュールの調整をしていたのですが、間に合わず。
数日後に生理2日目の痛みを何十倍にもしたような激痛が起こり、そのまま出血。
レバーのような血の塊が出てきて、今流産したのだとイヤでもわかりました。
自宅での自然流産でした。

医師に言われたのは以下のようなことです。
・初期の流産は、その殆どが胎児側に原因がある。
・お母さんが自分を責める必要はない。
・初期の流産は15%くらいの人が経験すると言われている。

更に。
・ただ2度続けての稽留流産なので、3回目も同様のことが起きた場合は、『不育症』の可能性が出てくる。その時は検査が必要。

不育症とは、妊娠しても流産または死産を繰り返し、こどもを持てない状態のことです。

仮に私が不育症だとしたら。
もしかしたらこどもは望めないかもしれない・・・。

目の前が一瞬にして真っ暗になったような気がしました。

心身ともにダメージを受けていた私の回復を待って、夫とこのことについて改めて話をしました。

とりあえずは夫婦ともに異常はなかったはず。
でも続けて流産しているし、改めて検査にいったほうがいいのかもしれない。
やはり異常なしということであればそれでいいし、何か問題が見つかったなら対処は早いほうがいい・・・という結論に至りました。

この時、2度目の流産から半年ほどが経過していました。

これまで通っていたクリニックで検査するか、それとももう少し情報を仕入れた上で不妊治療に強い別のクリニックにするか。
あれこれ考えていたある日。
私はあることに気が付きました。

そういえば、ここのところやけにみんと(猫)が私の膝の上に乗ってゴロゴロ喉を鳴らしている・・・。

私は確かにみんとと仲がいい。
でもみんとは夫の膝に乗るのが好きで、私の膝に乗るのはだいたいぺそ(兄弟猫)。
それまでに似たようなことがあったのは、流産したあの2回の妊娠がわかったとき。
私の膝に何度も乗ってきて、お腹に顔を寄せてずーっと喉を鳴らしていたのです。
(ちなみにぺそはなんの変化もありませんでした。ぺそらしい。)

その事実に気付いたその日は、生理予定日でした。
でもまさか、そんなこと・・・。
そう思いながらも、はやる気持ちを抑えることができなくて。
市販の妊娠検査薬を買ってきてフライングで使ってみたのです。

予想は的中。
見事に陽性

震える手で夫に電話して、結果を報告しました。

急いでクリニックに行きたい気持ちはあれど、また同じことの繰り返しになるのが怖くて、ある程度週数が経過してから行こう・・・と決めました。
けれどそれからすぐに頻尿、膀胱炎、頭痛、つわりの症状が出始め、仕事は出来るけど体調不良に悩まされる日々。
結局予定より早めにクリニックに行くことにしました。

初回・・・胎嚢は確認できなかったが、検査薬は陽性で内膜も厚くなっているので、次週再健診。

2回目・・・胎嚢と卵黄嚢が見える。経過は順調。次はまた1週間後に。

3回目・・・胎嚢は順調に成長。次回はまた1週間後。

4回目・・・検査薬で陽性が出てからおよそ1ヶ月。心拍が確認できた。ドクンドクンととても力強い心音だった。診察台の上で泣いてしまった。
「次回からは大きな病院での健診になります。紹介状を出しますので、母子手帳を受け取ってからそちらに移ってくださいね。」と言われ、涙だけじゃなくて鼻水も止まらなくなった。

ずっとお世話になっていたクリニックは、3度目の妊娠時もとても丁寧に、毎週私の様子を見てくださいました。
そして「おめでとうございます」と送り出してくださったのです。

その足で夫と共に母子手帳を受け取りにいき、転院先の病院への連絡も済ませ、私たち夫婦は次のステップに進みました。


でもこれで安心できたわけではありません。
何故なら、また流産を繰り返す可能性もありましたし、立ちはだかる『壁』がいくつも存在していたからです。

9週の壁。
12週の壁。
安定期の壁。
22週の壁。
それ以降も幾度となく訪れる『壁』という存在。

妊娠期間に『安心』という文字はないのだと痛感しました。
「いつまた流産するかわからない」という不安が常に付きまとい、情緒不安定気味になったりもしていました。

そんな3度目の妊娠でしたが、ネガティブな私の気持ちを吹き飛ばすように息子はぐんぐん成長してくれました。
そしてたくさんの『壁』を乗り越えて、2016年秋に無事に生まれてきてくれたのです。

今回の第二子妊娠中もそうでした。
不安が点ではなく線でずーっと続いている感じ・・・というのでしょうか。
「ここまで来たらもう安心」という気持ちにはどうやってもなれないまま、数日後に控えた予定日に向けて準備を進めているところです。

流産を繰り返していた時は、(身体的にもそうですが)精神的なダメージが本当に大きくて、自分以外の誰かの言葉(夫も含む)をものすごくネガティブに受け取ってしまうなど、暗闇に包まれたような日々を送っていました。

夫に対して申し訳ない気持ちもありましたが、逆に「(手術等で)痛い思いをするのが女性側だけなんて不公平」というどうしようもない感情もありました。

悪気があったわけではない夫の一言に私が嚙みついて、大喧嘩に発展したこともあります。
今考えると割と理不尽なことを言ってるなと思うのですが、なんでこんな時くらい精神的な足並みをこちらに揃えてくれないのかと、大爆発してしまったのです。

誰も味方がいないような孤独感。
それほどまでに精神的に追い詰められていました。
間違いなく離婚の危機でした。


2度の流産のこと。
当時を思い出しながら書き起こしてみました。

今でも涙が出ます。

手術の時のオルゴールの音色。
自然流産の強烈な痛み。

絶望的な気持ち。

1日たりとも忘れたことはありません。
そしてこれからも忘れることはないでしょう。

私の流産の記録でした。

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