ライターを続けている理由
飽きっぽい。熱しやすく冷めやすい。だいたい何でも形から入るから、道具ばっかり立派になっていく。「そのうち飽きるからやめときぃな」と、心の中でホワイトな私が説得を試みるも、ブラックな私は聞きゃあしない。
かくして我が家には立派なオーブンと、パン屋でも始めるのかというほど製パンの道具が揃っている。
これらはパンを習いに行っていた時に揃えた。飽きっぽいのだけれど、その時は真剣だ。いい材料を湯水の如く注ぎ込むから、美味しくないわけがない。ちょっと周りから褒められて「よっしゃ、パン屋さんになったろ」、と軽いノリで衛生管理者の申請をしに保健所に行ったり、手頃な空き店舗を探したり。
でも、どこかで覚めた自分が自分を見ている。
「やめときなって。どうせ一時のことですぐ飽きる。採算度外視でお店なんかできるわけない」と、頬杖ついて私を眺めている。で、案の定ある日突然熱が冷める。スン…。
そんな熱病の残骸が我が家にはいくつかある。
そんなことを子供の頃から繰り返しているから、自分に対して一番冷ややかなのは自分なのである。
どうせ飽きる。
ところが、ライターは3年ほど続いている。少しでもうまくなりたくて、近藤孝太郎さんやさとゆみさんの講座を受けてきた。いままで、何ひとつものにしたことのない私にはもったいない、ともうひとりの私が言う。
そうかもしれない、とも思う。でも、今度こそあきらめたくない。上手に書けるようになりたい。自分の思いを文章にして、誰かを助けたい。
「1年後にはどうなっていたい?」と、さとゆみさんのライティング道場に参加した時に問われた。なんとなく、ライターとして食べていければいいな、と思っていた私にとって新鮮な問いだった。
どうなっていたい?
何になりたい?
どんな自分になりたいの?
ライティング道場が終わってからずっと、この問いを自分の中で転がしている。
「1年後には『本物の』ライターになっていたい」
「本物の」がなんなのか、自分でもまだわからない。書籍ライターなのか、取材ライターなのか。それでも、1年後にはさとゆみさんに「ライターになりました」と報告できるようになっていたい。
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