あしたは我が身

2週間ほど前、わたしはイタリアにいる人が書いたブログを読んだ。それより前のわたしは、みんながみんなこの感染症にびびっていて、大袈裟に騒いでいるとおもっていたから、仕事はテレワークになっていたけど休みの日は飲みにでかけていた。みんながびびっている間は大丈夫だとおもった。だけどそんなのもずっとは続かないから、みんなの気が緩んだときがいちばんこわいと考えていて、そのあたりからすこし警戒して今日本や他の国で起こってることを調べていった。そのときに見つけたイタリアに起こったことが記されてるブログ。それを読んだわたしは、一気にこわくなった。つい1週間前まで飲み歩いていたのに、そのブログを読んでからは一度も行ってない。
わたしがこわかったのは、不安なのは、自分のことではなくて母親のことだった。わたしの母親は免疫系の持病がある。普通の風邪ですら重症化しやすくて、基本的に免疫力がない。そんな母親が今流行ってる感染症にかかったら、死んでしまうかもしれない。それが世界中で普通に起こってることなんだと思ってこわくなった。もしわたしが1日くらい大丈夫だと思って行った飲み会で、わたしが感染し、そのあと母親にうつして重症化して、最悪なことになってしまったら。わたしは死ぬまでその日のことを後悔して、死ぬまで謝りつづけるとおもう。それは自分が殺したも同然だから。わたしの行動ひとつで、どうにかできたかもしれないから。 そんなことを考えて毎日すごしてる。だからあの誰もが知ってる方の訃報は一層わたしをこわがらせた。だって小さいときから見ていた人がこんなに呆気なく。悲しくなって、不安になって、涙がでた。仕事が手につかなくなった。
いろんな人の行動が、いろんな人の価値観が、こういうとき顕著に表れる。全く危機感がなく何も考えてなかった数週間前の自分がはずかしい。それでもいろんな人にいろんな事情があって、東京で一人暮らしして働かないと生活できない人もたくさんいるんだとおもう。生活できなくなるから、実家に帰らざるを得ない人も。こういうときに手を差し伸べてくれる、大丈夫だよって言ってくれる国であってほしかった。今に始まったことではないけど、思うところはたくさんあるよね。こういう話を誰かとするとき、わたしはなぜか感情的になってすごく嫌な気持ちになって気が滅入るから、あんまりしないのだけど。本当はもっとみんなで、変えてかなきゃいけないんだよね。

わたしはここのところ、ずっと沈んでる。あいたいひとにあえない。ここまでひどくなる前会った人と「お互い、生き延びましょうね」と言って別れた。
こんなことになる前に普通に別れた人たちに、もしかしたら会えなくなってしまうかもしれない。おおげさかもしれないけれど、若い人がみんな大丈夫なわけでもない。さらに感染者数が加速して、まともに治療が受けられないかもしれない。悪いことを考え出したらキリがない。
今すぐぎゅってしにいきたい。会いたい。でも今はまた元気で会えるように、ちゃんとしないといけない。こんな大変なときだから。できればきみからの大丈夫が聞きたいんだけど、どうかな。きみの綺麗で優しい声がききたい。

また次いつきみと会えるのか、だいすきな人たちに会えるのかわからない状況。楽しみな予定も遊びの予定も、前みたいに入れられなくて。こんなに会えない日がつづくならもっともっともっとぎゅってしていればよかったな。意地なんかはらずに、目を見て会えて嬉しいことを伝えられたらよかったな。こういうときにこそ、今までの当たり前が当たり前じゃないことに気づく。それじゃ遅いんだけど。こんな状況じゃなくても、人はいつ急に会えなくなるかわからないのに。ただそれをわかりやすくしてくれているだけのこと。
日常が、当たり前の日常がずっと続かないとわかっていても慣れはきてしまう。なんどもなんども、言い聞かせても、日を重ねるごとに慣れてくる。またすぐ会おうねと言って別れた人も、もうしばらく会っていない。だから大事にしていたいんだね。すきとか会えて嬉しいとか会いたいとか居てくれてありがとうとかそういうの、いつ言えなくなるかわからない。だからちゃんと思ったときに、だいすきだよって言える人でいたい。昨日まで会ってただれかが急に会えなくなるなんて生活してて思うことってそうないけど、ほんとうはそうなんだよね。明日死ぬつもりでなんて生きていられないけど、つづくとおもっていて良いんだけど、思いやりや優しさは常に自分の中で持っておきたいもの。そんなものでどうにもならなくても。

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日記
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