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私のルーツと、台湾への想い

私は純粋な日本人ではないーー

そのことに気づいたのは、今から3年半ほど前の2016年のある日のこと。手続きのために取得した戸籍全部事項証明の母の父母の欄に、日本では見慣れない「陳」という名字が書かれていた。その瞬間まで、私は自分が純粋な日本人であると疑っていなかった。今思えば理不尽な話だが、当時はショック受けていた。誰にも言えず、母に聞くこともできず、3年以上もの間、その事実に蓋をした。

3年の月日が流れ、ひょんなことから私は台湾が大好きになっていた。台湾の人々、食べ物、文化、メイドさん。台湾のあらゆるものが好きだ。日台友好を心から願っていた。

大好きな台湾に滞在していたある日のこと、ふと母方の祖父母のことを思い出した。

「陳」という名字は中国大陸だろうか?それとも台湾だろうか?

2016年当時は「陳」という名字から中国大陸を連想していたが、台湾に何度も訪れていた私は、台湾で最も多い名字が「陳」であることを知っていた。また、大好きな台湾にただならぬ縁を感じていた。私は、母方の祖父母のルーツを探ることにした。そして戸籍を辿り、親戚を巡り、一つの事実にたどり着いた。

私の祖父は台湾人だ。

私には台湾人の祖父の血が1/4流れている。いわゆる日台クォーターというやつだ。道理で台湾が好きなわけだ。と妙に納得すると同時に、揺らぎかけていたアイデンティティを取り戻し、気がつけば涙が溢れていた。

母方の祖父母のルーツを探る過程で、祖父が台湾人であること以外にも浮かび上がってきた事実がある。

・母の元の名が台湾のものだったこと。
・母が二十歳まで無国籍だったこと。(当時の日本は、母が日本人でも父が台湾人の場合、子は日本国籍を取得できなかった。)
・母が恐らく日本国籍取得のため、二十歳の時に帰化し、同時に養子縁組をしたこと。
・養子縁組をした家の、私の義理の曾祖父にあたる人物が臺灣總督府醫院醫長を務めており、台湾の医療の発展に長きにわたり尽力していたこと。

私の母方の祖父と義理の曾祖父の家は、台湾が日本統治下にあった時代に縁があり、紆余曲折あり私の母を養子とすることとなったのだろう。

他にもいくつか判ったことがあった。そして確信に至った。

私の類縁は明治の時代から日本と台湾を跨り、縁を持ち、助け合ってきたのだ。

いま私は、名実ともに「もう一つの故郷」である台湾を想い、とても満たされた気持ちになっている。また、恐らく私と妹を気遣い、台湾との縁を明らかにしなかった母の優しさに感謝している。

来月、また台湾を訪れる。今度は台湾に遊びに行くのではなく、祖父のいる台湾に帰るのだ。そしてまだ見ぬ祖父の眠る台北の金龍禅寺で、こう言うのだ。

「おじいちゃん、会いに来たよ!」と。

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