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【歴史雑記】秦末反乱の担い手たちについて

 歴史雑記023
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前言 

 中国史史料研究会の会報で楚漢戦争のことを書いていることもあって、ずっと『史記』の関連部分と睨めっこをしている。そうすると、いま現在書いている原稿と直接の関係はないけれども、ちょっとこれは興味深いなと思うような記述に当たることがある。
 今回はそのような記述をメモしたものを用いつつ、陳勝・呉広の乱にはじまる秦末反乱の担い手について、思いついたことを記しておくことにする。

柴田昇氏の着目する「少年」

 秦末反乱の性質については、たとえば多くの「劉邦集団」研究、また数は少ないが「陳勝集団」に触れたものもある。
 これら先行研究を踏まえたうえで、柴田昇氏は「少年」に着目する。柴田氏の『漢帝国成立前史』(2018、白帝社)は秦末反乱の背景から楚漢戦争の終結までを詳細に取り扱った労作だが、本書の第一章第二節で秦に対する抵抗の主体としての「少年」の重要性について分析がなされている(そう高価な本でもないうえ、非常に勉強になるのでご興味の向きは座右に置くことをおすすめする)。
 たとえば、秦始皇本紀には下記のような記述がある。

 勝自立為楚王、居陳、遣諸将徇地。山東郡縣少年苦秦吏、皆殺其守尉令丞反、以應陳涉、相立為侯王、合從西鄉、名為伐秦、不可勝数也。

 柴田氏はこの記述から、「各地で少年たちがそれぞれリーダーを立てて独自に集団を形成していたことを推測させる」と述べる。また、項羽本紀中における陳嬰にかんする記述にも注目する。

 陳嬰者、故東陽令史、居縣中、素信謹、称為長者。東陽少年殺其令、相聚数千人、欲置長、無適用、乃請陳嬰。嬰謝不能、遂彊立嬰為長、縣中從者得二万人。

 この記述について柴田氏は、「県レベルで少年たちの集団のリーダーが選出される過程を記録した例」とする。
 そして、劉邦については「劉邦の場合は沢中から「少年豪吏」の支持を得て県中に入り、反秦集団のリーダーの地位を得ている」と評価し、「高祖本紀ではこのあと沛公となった劉邦が胡陵・方與を攻める際に沛の子弟たち二、三千人を結集した蕭何・樊噲・曹参らを「少年豪吏」と呼んでいる」ことにも着目している。

 いずれも重要な指摘であるが、功臣表などを眺めていると、「少年豪吏」のうち、柴田氏があまり強調しない「豪」と「吏」についても気になってくる。

反秦反乱に投じた「吏」「豪」たち

 すでに柴田氏が言及するように、陳嬰や蕭何、曹参は「吏」であった。
 また、逃亡して沢中にあったとはいえ、劉邦自身も秦帝国の末端に属する官吏のひとりであった。ほかにも、沛県の官吏として劉邦の決起に従った人物に夏侯嬰や任敖がいる。

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