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【歴史雑記】楚漢戦争マイナー武将列伝:郡守篇(前篇)

 歴史雑記020
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 Twitterでアンケートを取ったところ、こういう結果が出た。

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 ええ……まじですか。いや、全然いいというかありがたいんですけど、僕のnote読んでる人たちガチすぎませんか?

 とはいえ、本当に謎な人物というのは名が一箇所ポコっと出てくるだけであったりして、謎すぎてなにも書けない。
 そんなわけで、今回は無難にマイナーであろう秦の郡守(郡の長官。県知事が軍権を持っているようなもの)たちを採り上げてみたい。

 さて、統一秦はいわゆる郡県制を全国的に施行した。数字については36だとか48だとかもっとあるとか色々と論争があるが、二世皇帝元年までの間に順次増設されていったらしい。
 前210年に始皇帝が崩御すると、陳勝・呉広の乱を皮切りに、旧六国の地で反乱が続発し、反乱軍は郡県の役所を襲って中央から派遣された官吏を血祭りにあげ、首都・咸陽のある関中を目指していくことになる。
 これら反乱の惹起について、多くの郡県は充分に予想をしていなかったと考えられる。
 そのことは、『史記』に郡の長官であるところの郡守がほとんど組織だった抵抗をなし得ていないことからうかがわれる。少なくとも30を超える郡があったにもかかわらず、その姓名と行動が記録される郡守は、片手で数えられるほどしかいないのである。

 少ないのを幸いと、今回はこれらの郡守についてざっと確認してみよう……と思ったが、意外と情報量が多い人もいるので今回は前篇である。


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