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「察する」が全然できない

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 人間の言動にはかなりの確率で注釈がついているらしい。しかし、どうも僕はその多くを読み取ることができないらしい。今日はそういう話を書くが、「書こうと思ったから書く」以上の意図はないので、気楽に読んでほしい。

 さて、僕がこの記事で言うところの「察する」は、「元気がないからなにかあったのかなと思う」とか、「最近働きすぎだしちょっと休んだら?」みたいなものとは少々異なる種類のものらしい。
 「らしい」と書いたのは僕にはよくわからないからだ。よくわかっていれば遂行可能、もしくは漸次改善可能なはずで、まったくわかる気配もないし、失敗し続けているということは、僕はどうも根本的に「察する」ができないからなのだろう──ということになる。
 一応、筋は通っていると思うが、どうだろうか。

 ……で、よくわかっていないがために、以下では比喩を用いるしかないのだが、「察する」というのは、おおよそ以下のようなケースを想定していただきたい。
 まず、「マックが食べたい」というLINEがきたと思っていただきたい。まあ相手との関係にもよるが、特別な条件がないとしても、返信は何種類か考えられる。

 「どうしたの、食べればいいじゃん」
 「無性に食べたくなることあるよね」
 「最寄りにないんだっけ?」
 「ダイエットでもしてんの?」

 ……などなど。
 ただ、どうもこの世の中には「マックが食べたい」という文面を送りながらも、(僕からすると)まったく異なることを伝えたいと思っている人がおり、またそれを難なく読み取ってしまう(つまり「察する」ことができる)人がいるらしい。
 これまたさまざまなケースがあるが、「マックが食べたい」の裏には、たとえば以下のような本題が構造的に潜みうるという。

 ・マックが食べたいとわざわざ言っているということは、本人がそれを望んでも不可能な状況にあり、それを訴えている
 ・外に出る気力がない、お金がない、体調が悪いなど
 ・直接的に言うことはよくないことであり、だから変換して伝えている
 ・マックも食べに行けないという事態はよっぽどであることは、容易に想像しうる
 ・いかなる事態が潜んでいるかを察して、適切に動くべきである
 ・それができないということは、「私」のことがどうでもいいからだ

 確かに言われてみれば正しいような気もしてくるのだが、僕にはどうしてもこの構造を瞬時に読み取ることはできないし、文面通りに受け取ってしまう(「マックが食べたいなら行けばいーじゃん!」)。
 このように(僕から見れば)複雑なコードを含んだコミュニケーションを行なっている人がいるようなのだが、どうあがいても僕には無理そうである。
 それを踏まえて自分や近しい友人をざっと見回してみると、世間的には言い草が露骨(もしくは露悪的、毒舌など)と評されるようなラインナップが揃っている。

 あるいは、「察する」型コミュニケーションを行なっている人たちから見ると、僕のように直接的な発言をする人間はとてつもなく慎みのない(僕に関して言えば確かにそういうところはある)、破廉恥な人間たちということになるのかもしれない。いずれにせよ、「察する」型の人と僕は、あらゆる面で相性が悪そうである。
 コミュニケーションの様式が近い人と付き合ったほうがストレスがないね……ということで、オチになるのかどうかわからないがとりあえず本記事を終える。

(これより下に文章はありません)

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