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ヨシタケシンスケさんが大好きな友達のことが大好き

高校からの友達が、私は大好き。その友達とは、いつも一緒に行動していた訳ではない。寧ろ、当時は距離を保つ関係性に居た。そんな私達は、でも互いに、心のどこかでは深く繋がれていていた、だから今も友達でいられているんだと思う。

そんな友達は、ヨシタケシンスケさんが大好きだと言う。その名前は存じ上げていた。でもそれだけだった。そんなある日、図書館に通った私は偶然の出会いをした。

それがヨシタケシンスケ「日々臆測」。

第一に、その友達の顔が浮かんだ。迷わず手に取って貸し出し手続きをした。そして実際に読んでみた。興味深いの意で面白いなと思った。

何だろう、じっくり時間をかけて、ページを繰りたくなる。一ページずつ噛み締めて、もう一回読み返したい。そんな本。

その後、友達にインスタでDMを飛ばした。その本の写真と、ちょこっと感想を添えて。そしたら、ヨシタケシンスケが大好きなんだ!と教えてくれた。

友達の大好きな人を知れるくらいの関係性になれる、なんて、高校生の時は思わなかった。思えなかった。

高校生の時の私は、誰かの好きに触れることなんて無かった。人に興味はあったけど、それ以上に人が怖かった。だからその友達に対しても、距離を近づけられなかった。

そんな私にも「信念」なるものはあって、それは、誰に対しても態度を変えない、相手に平等に接することだった。

友達のグループに、ただのクラスメイトの私からしても、それって友達なの?と思うような、陰湿な特定の誰かを排除する空気?のようなものがあって。それを受けていたのが友達だった。

でも私はそれを見つつも、その友達とかかわった。加えてその友達とは、部活も一緒だった。部内でも、その友達を無視する一部の人達がいた。私はその人達と同じクラスだったけど、友達とは教室と変わらずかかわったし、その人達とも同じテンションでかかわり続けた。

友達を無視する理由が無かったから。

互いに大学生になって数年して会った時、当時の話になって。

その友達が「あの時落ち込んでたけど、美咲がいてくれたから学校行けてたんだ、あの時はありがとうね」と伝えてくれた。私からしたら当たり前のことだった。でもその友達にそう言ってもらえて嬉しかった。だから、こちらこそありがとうと伝えた。

私の方こそ、友達の存在は私が学校に行けた理由だった。高2の時、それ以前からあった視線恐怖(実際に見られている有無にかかわらず、自分のことを相手が見ていると思い込んでしまう症状)が悪化して、教室に居ることが怖いとか、辛いと感じていた。

ある時、本当に行けなくなってしまって、一週間に3日登校できたらいい方、みたいな状態になった。結論、一か月程度で、教室復帰はできた。当時、担任の先生のお力添えは勿論大きくて、だけどそれと同じかそれ以上に、私にとっては当時、その友達の存在が心の安心材料になっていて。

理由は、直感。何となく、でも明確に「この人なら信じられると思える何か」があって、それが多分、互いにあったんだと思う。

大学生になった私がその友達に言ったら、そうだったんだ!とびっくりしていた。でもそう思ってもらえていたのなら嬉しいなー!!と言ってくれて、私も嬉しくなった。にこにこ。



ここまで書いて思ったこと。私はその友達が大好きだし、高校で出会えて本当によかったな。これからも大事にする。



読んでくださってありがとうございます。

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