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私はトラウマと向き合い、受け入れて生きていく

苦しい。なんとか深く息を吸い込んで、呼吸を整えようとする。それでも充分に取り込まれない酸素。加えて恐怖感にも襲われる。そして泣きそう。

今の私は何もされていない、ここは安全な場所だから大丈夫だよと、痩せ細った身体を自分なりにぎゅっと、抱き締めながら。

さっき、何気なく見ていたインスタに流れてきたのは、1枚の写真。そこには、今日のオーキャンにボランティアで参加していた学生達と、一緒に参加されていた先生方の姿があった。その中に、その一人として参加されていたのであろう、その先生が写った写真を、不可抗力で見てしまった。

その瞬間、私の中で、トラウマが蘇ってしまった。

まだ駄目だった。早かった。徐々に蝕ばまれていく私の心に、私は抗えないようだった。ああ、立ち直ったかもと思ったのになあ。治癒はそんなに、簡単じゃないってか。いや、向き合うって決めたんだろ、数ヶ月前。noteにも書いたし。

それにこれは、誰か特定の個人が悪い、という訳ではない。ただ互いに、事実がある。先生は"その一言"を私に言った、と言う事実があって、私は当時、思考が歪んでいたが故に、その一言を適切に受け取って処理することが、できていなかった。

そうして消化不良を起こしたその出来事は、数ヶ月経ってから私の身に、フラッシュバックという形で、想起させることになったんだろう。これだけ冷静に書き起こせているんだから、だいぶよくなった方だろう?

その一言を言われた3年生の秋から4年生の春学期頃まで、私はその先生に苦しさを覚えることに対して、罪悪感を抱いていた。何故かと言うと、私が精神的に苦しい気持ちが強かった3年次に、複数回にわたって、個別で相談させていただいた先生でもあったから。その中で、とどめを刺されたように、当時の私が感じてしまったのだ。その一言が、私の急所に刺さってしまったのだと思う。

4年になってから、1人で抱えきれなくなり、どうしようもなく苦しくなってしまって、それを何人かの友達に相談した。すると「それと美咲が苦しさを感じることは別だと思う、美咲は苦しいと感じているのなら、そこに罪悪感を持つ必要はないのかなと思うよ」と異口同音に言われた。その時、そう思ってもいいのかと思えた。

この1年、特に4年の夏頃から秋頃は、その先生と大学構内でもし鉢合わせしたらどうしよう、逃げないと死ぬかもしれないと言った、強い予期不安のような感情に襲われた。声を聞いただけで戦慄が走った。実際、その場に居られなくて、逃げたこともある。


何度でも何度でも、私はこれと向き合うし、受け入れて生きていくしかない。そうすることでいつか、過去の私も、今こうして苦しんでいる私のことも、未来の私が救えるかもしれないから。


読んでくださってありがとうございます。

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