もえこ
過去の出来事を綴った記事のまとめです。
どうせ時間があるなら、普段しないことをしようと意気込んで最近始めたのが映画鑑賞です。今回は、備忘録として感想を書いていきたいと思います。 今回映画を見始めるに当たって掲げたテーマは「誰もが知っている映画タイトルを回収していこう」です。映画を見る習慣が殆どなかったため、何が有名なのかすらいまいち分からないといった超映画初心者、作品選定は下記のルールのもと行いました。 ①1980年代~2000年代はじめくらいの映画 →間口を広げ過ぎると訳が分からなくなって見るのをやめてしまい
今日はわたしの誕生日です。自己主張が激しい冒頭ですが、せっかくなので誕生日や歳をとることについて思っていることを書きたいと思います。来年また、見返せたらいいな。 この誕生日を迎えて、わたしは所謂アラサーというものに片足を突っ込んだかたちとなりました。周りの友人は結婚や出産という人生の大きなイベントを迎えていたりするので、節目となる出来事が頻発する年齢なんだと実感しています。 それと同じくらい耳にするというか、話題に上るのが若さについてです。もうあと数年したら30代に突入す
最近、幸せになりたいと思うようになりました。 眠る間際だったり、食事中だったり、映画を見ているときだったり、ふと、忘れていたことを思い出すように浮かんできます。幸せになりたいなあ。 今まで、幸せになりたいという言葉に疑問を持っていました。幸せになるってどういうことなのか?何を成し遂げたら幸せになるのか?そもそも今は不幸せなのか?といった具合です。 披露宴でほほ笑む新郎新婦を見て、宝くじに高額当選した人を見て、何でもない穏やかな日々を家族と過ごす人を見て、新しい命の誕生に出会
どこまで生きても結局は孤独なのだと思うことがあります。 たぶんそれは間違っていなくて、ずっと孤独を頭の片隅に感じていて、最後そのまま死んでいくのだと思います。悲しいというか、そういうものなんだと思っている。誰と居ても何をしていても心から繋がるなんてことはできなくて、ただ、それはみんな価値観や生き方が違うのだからあたりまえのことで、誰が悪いというわけでもなく。繋がりたいなと思ったもの同士が寂しさを薄めるために手を取り合うのだと、でもその寂しさが完全に消えることなどはなくて。
例えば、本を読んでいるとします。そのときに、家族や友人といった近しい人に「何の本を読んでいるの?」と訊かれることがとても苦手という話です。 子どものころから自覚があるのですが、自分の好きなものを外に発信することがとても苦手です。これにはある程度のラインがあって、好きな系統の服やメイク、芸能人など、そういったものは割とすんなり人に見せることができます。(昔は苦手でした。その話も書きたいです。)好きなアーティストや、映画も答えることができます。 ただ、読んでいる本や好きな詩、作
久しぶりのnote更新です。どうしても書いておきたいことがあるので残そうと思います。感情が高ぶっていて、導入とか、掴みとかそういった小細工を一切無視して思いのままキーボードを叩いています。可能であるなら叫び出したいですね。駄目ですけどね。 わたしの趣味のひとつにゲーム実況動画を見ることがあります。そのなかでも一番初めに好きになった実況グループが「幕末志士」です。彼らですが、本日5月2日をもって実況活動を一旦休止します。今回は、そんなお二人について、書いていきたいと思います。
そのままでいいと言われたから、そのままでいたくなくなっただけ。 夜中って何時からだと思いますか。わたしは大体25時ごろから始まり、ピークは27時。28時は朝が始まる時間帯という感覚です。 今これを書いている時間がまさにわたしが思う夜中なのですが、この時間帯は本当に良くない。とても魅力的で怖い時間です。例えば、読み出した小説の終わりどころかわからなくなるし、深夜のバラエティは面白いし、眠るタイミングが見つからないです。元気なときほど夜中は満喫できます。 ただ、元気がないとき
アイドルが好きです。男でも女でもアイドルと名のつくものにとても好感を持っています。落ち込んだときにアイドルを見るといつの間にか顔がにこにこしていたりします。 わたしは小さいころ、可愛らしいものが好きなことに対して恥ずかしさを感じていました。例えば、ピンクとかレースとか。プリキュアとかさくらちゃんとか、魔女っ子とか。本当はとても好きでした。だって可愛いもんね。そういうの好きじゃなさそう、と言われたことがあったのがきっかけだったように思います。初めてレッテルを貼られた経験だった
まあ、死んでもいいか、もう。 と、思うことがあります。およそ褒められたものではありません。でも時々そういう倫理観を飛び越えて頭の中に文字として思い浮かんできます。シチュエーションは様々です。例えば、最高の音楽を浴びたときにも思いますし、めちゃくちゃ自尊心を傷つけられて意気消沈しているときにも思い浮かんだりします。ポジティブな場面でもネガティブな場面でも出てきます。 微妙にニュアンスが違いますが、まあ、どうせ死ぬし。とも思うことがあります。どうせ死ぬんだからこんなこと気にする
※この話は緊急事態宣言前の出来事になります。現在は外出自粛中です。 ひいおばあちゃんのお墓参りに行かないか。 お父さんはそう声をかけてくれました。参加者は、おばあちゃんとお父さんとわたしの3人とのこと。曽祖母のお墓にはもう長いこと行っていません。そろそろ行かないと怒られてしまうだろうなあ。わたしはお父さんの誘いに乗ることにしました。 当日の朝は6時ごろに起床しました。眠い。とてつもなく眠い。みんなと合流して車に揺られている間もうたた寝をしていました。時々起きて、天気がいい
毎年春になると、少しそわそわします。暖かくなり、人々が冬に比べて行動的になっているのを見て、何かしなきゃという思いが義務感のように沸いてきます。まあ、思うだけで何もしないんですけどね。淡々と毎日を過ごしています。 コロナのことがあってから、不要不急の外出はしていません。それが正しいことのはずなのに、なぜだか太陽が燦々としていて、やわらかい春の空気を感じると、外に出ないことに対する罪悪感のようなものを感じます。逆に土砂降りで、湿気をたくさん含んだ空気を感じると、外に出なくても
身も蓋もない言い方をすれば、数学が嫌いです。ただ、この嫌いというのは「できないという事実が嫌」というだけであって「数学そのものが嫌い」ではありません。むしろ逆です。数学に対してロマンを感じますし、数学ができる人に異常な憧れを抱いています。憧れが転じて、ウィキペディアで数学者の記事を読んだり、フェルマーの最終定理とかABC予想とかを調べたりしていました。まあ、全く理解できないんですけどね。所詮ないものねだりです。宇宙にロマンを感じるのと似ているような気がします。 どれくらい数
わたしは文章を書くことが得意ではありませんが、抵抗もありません。この「抵抗がない」というのが生活の上でとても役に立っています。こうやって自分の考えていることなどを文章にして気持ちを発散することもできるし、書くことに抵抗がないからか、文章を読むことに対しても特に嫌悪感を感じないからです。以前の仕事でも堅苦しい文章を読んだり書いたりしなければいけなかったのですが、わりと楽しんでやれていました。 逆にめちゃめちゃ抵抗があるのが数学です。数学というかもはや算数、算数というかもはや数字
わたしが唯一、人に言える特技はクラリネットが吹けることです。 クラリネットという木管楽器をご存知でしょうか。いまいち分からないという方もいると思いますが、黒くてでっかいリコーダーみたいな楽器のことです。つやつやとしていて、見た目の割にはずっしりと重たいです。木でつくられているため(一部プラスチック製のものもあります)暖くて丸みのある音が出ます。何ともわかりづらい説明をしたので気になる方はぜひ検索してみてください。マイクラリネットを載せようと思い何枚か撮影したのですが、あまりの
前々回くらいの記事(すきなもの)にも書きましたが、ネイルが好きです。 ぷっくりとしたジェルネイルももちろん可愛くて大好きなのですが、爪が弱いことと、セルフだとオフするときに爪を痛めてしまうのではないか(大雑把が人の形をして歩いているようなものなので…)という不安もあり、もっぱらポリッシュを使用しています。気が向いた時にさっとオフできて、好きな色に塗り替えられるという点も飽きっぽいわたしの性分に合っているような気がします。以下、何の脈絡もなくわたしのネイル画像を貼っていきます。
タイトルを見て「ん?」と違和感を覚えた方もいるのではないでしょうか。 そうなんです。今、巷で大流行中のあつまれどうぶつの森ではなく、とびだせどうぶつの森です。今をときめくswitch版ではなく3DS版です。なぜこんなことを書き出しているのかというと、今現在わたしが絶賛プレイ中なのがとびだせどうぶつの森(以下とび森)だからです。こんなに旬な話題もないだろうと思い備忘録として書こうと思います。 きっかけはとても単純なものです。買おうか迷っているうちに発売日になるが、あまりの人気