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コーチングを学んで変わったのは自分だった話【後編】

ここ何年かの間、たのしいことはもちろんあったけど、何か閉そく感のようなものがずっとまとわりついていた。
がんばりたいけどがんばれないというか、どうしても悲観的になってしまう。

面白そう!と思ってはじめて、確かにたのしかったはずの音楽が、いつのまにか義務感がおおきくなってしまっていたり。

仕事しかやってない気がするのに、それすら何にもなってないよなあと思って、キラキラした同年代のインタビュー記事やnoteを見ては絶望したり。

いま現在、そこから遠く離れたところにいるなあ、としみじみ思います。

コーチングをみっちり学んで、セッションを受けての変化についてつらつらと書くシリーズ、後編です。

◆前編:コーチとして
・コーチングを学びたいと思った理由とその結果
1.人と話したい・理解したい
2.やりたいことがコアにある人やチームのエンジンになりたい

◆後編:個人として
・得たものと手放したもの
・この3か月の変遷

前編はこちら。

個人としての変化

後半は、いち個人としての変化についてふりかえります。
ほんとうはもっと早く投稿したかったのだけど、講座終了から3週間も経ってしまったぜ...
(いちおう理由もある)

このnoteは

キャリアもぱっとしないしもう余暇でいいはずの音楽をやることがそもそもしんどい。もう20代終わっちゃうじゃん人生行き詰まりだ~~

と感じていたかつてのわたしが

しょげたりめげたりしてもまあどうにかできるな、大まかな方向性は意識しつつ、いまこの瞬間を精一杯やろう

と思えるようになるまでの変遷です。

一般化できない個人の経験だしなあ...ともおもいました。

コーチングと内省によってこう変わったよ!といういちサンプルがネットの海にあればあるほど、コーチングは身近で当たり前のものになっていくし、その結果たのしい人生をやれるひとが増えることは自分にとってうれしいから。

あとはいつかまたよくない自分のクセが出てきたり、うまくいかないなーーってなったりした時に立ち戻るためという意味合いもあるね。

得たものと手放したもの

この3ヶ月で得たものと手放したものをまとめます。

◆得たもの
なんとかなるっしょという元来のポジティブさ
 →なんとかなる、助けを借りつつ自分でなんとかできる、という感覚は新たに得たというより取り戻したに近い感覚。

自分に合った方法でやっていく方がやっぱいいよね、という気づき
 →自分のことってわかっているようでわかってなかった。高い目標に向かってコツコツがんばるより、その瞬間に全力を尽くす方が合っていると気づけた。

・3か月で結構人って変わるものなんだなという驚き
 →自分がいちばんびっくりしてる。思えば遠くへ来たもんだなあ。

言語化するパワフルさ
 →内省の手段としてのジャーナリングやコーチングのパワフルさを実感できた。書いて、人に話してはじめて気づいたことがたくさんありました。
※専門用語としてはオートクライン効果と言います

◆手放したもの
器用貧乏で何もないと悲観すること
 →どうにかなる、と思えたのとほぼ同義。どこでどう繋がるかわかんないし、それでいいんだなという感覚を持てた。

・自分のことを過度に責めること
 →これは大々的に(自分の中で)をやってみたり。
 たまに出てくるので、そういうときは温かい目で見ることにしています。

この3ヶ月の変遷

1ヶ月目:実現可能性にとらわれている自分に気づく

コーチングセッション1回目で、理想と現実の反復横跳びをしている自分にはじめて気づいた。
枠を取り払って、未来について考えを発散させるのがすごく大事なのに、全然広げられなかった。

こうなりたいけど、でも…(もう3年目なのに、何もできないのに、自分には何もないのに)という発言が多かったように思います。
どうにもできなさ、その閉塞感は、いま思うと果てしなく高くて広い壁のようだったな。

ずっとやってきた音楽も、たのしさよりもしんどさの方が勝つようになっていました。やりたくてはじめたはずなのに、いつのまにか「やらなければならない」の割合がどんどん上がるような感覚。

やらなきゃ、と思っているのにできない状態が長く続き、一年半くらい自分担当のタスク(レコーディング)を積んだままにしていました(ごめんなさい)。
毎日リマインダに入れておいたらできるかな、
作業量の単位を減らして取っ掛かりのハードルを下げたらできるかな、とか思いつくことはやってみるものの思うようにうまくはいかず、どん詰まり感と申し訳なさが積み重なっていっていました。

同じ時期に、こばかなさんのコーチングセッションを受ける機会があり、
はじめたころみたいに楽しいと思って音楽をやれるようになりたい」をテーマとして扱ってもらいました。
もう全然進まなかったです。引っかかって出てこないし、思いつくことは試したつもりでいたのもあります。

こばかなさんとのセッションで印象的だったのは、「(自分のタスクを)やらないことで、何を得ているんでしょうか?」と聞かれたこと。
戸惑いつつ、「評価が確定しないこと…?」と答えたと思います。
強く制限がかかっているように見えるとフィードバックしていただいてはじめて、昔あったこと(バンドで上手くいかなかった経験)が現在まで影響していると気づきました。

帰る道すがら、呆然としつつも
もう終わったもの、終わらせたものという認識でしかなかったのに、うっかりパンドラの箱を開けてしまったなあ...
セッションを始めてみないと行き着く先が分からないと講座で聞いたけど、こういうことかあ...
なんてことを考えていた気がする。

2ヶ月目:やっぱ過去の滞りをどうにかしないとなと気づく

かつて、「やりたいことはぜんぶやる」と座右の銘のように言っていた時期があった。
これを言わなくなったのは、大人になったからだと思っていたけれど、どうやら違うのかも?というのがわかってきた2ヶ月目。
やりたいことはあるような気がするのに、やりたいと認知できるところまで上がってこないのかもなと気づいた。

2回目のコーチとのセッションで、気がついたらするすると過去のうまくいかなかったこととか、いまうまくいかなくて行き詰っていてしんどいなあということを話していた。
結局全部繋がっていて、そこをどうにか向こう側にいかないとどうにもならないんだ、と感じた。
うわーー根が深いとは思ったものの絶望感はあまりなかったし、どうにかするぞと腹がくくれたのは、コーチの存在があったから。

ひとりでどうにかしなきゃいけないとおもいこんでいたけれど、コーチがいてくれることの心強さがありがたかった。
向こう側があるんだなとわかった。大きな山くらいになっていた。

とはいえ、自分自身のパーソナルな課題に対峙するのは大変にしんどい
当時がりがり書いていたメモはこんな感じ。

やらなきゃいけない、の割合が増えたこと
やりたいではじめたのに熱意がなくなってしまうことに対して、めちゃめちゃ恐れがあることが分かってきた。
それを失うのなら初めから持たないようにしようとしている。

だから(音楽関係ではなく)今後のことを考えようとしても、今この瞬間、現実的に可能かどうかに強く引っ張られているっぽい。

100%やり切るのが苦手でそこが嫌だなとか
上っ面だけで中身がスカスカとか
だから100点は取れなくて全部60点くらいなんだよなとか
だからアマチュアなんだよなーとか
自分で思っていた短所というか悪い癖が招いた事態だと思っているのかも。

見たくないものを手に取って眺めていく作業なのでまあめっちゃハードだなあと思いつつ、これ超えたら結構大きなブレークスルーだと思うので逃げずにやりたいね。。

自分の無意識下に潜むモンスターを地道に研究し続けた1ヶ月だったなあ。

3ヶ月目:気がついたら変わっていたことに気づく

どうにかなる、どうにかできる、という元来あった感覚が戻ってきていることに3回目のセッションで気がついた。
根拠のない自信のように見えて、その気持ちがあるかどうかでしんどさは減るし、あれだけ何もないように感じていた今までやってきたことも、いつの間にか見えるようになっている。

どういう取り組み方をすると自分を責めがちになるのか、どう対峙すればたのしくやっていけそうかが腑に落ちた。
目から鱗!というよりは、「あ~やっぱそうだよね~」という感想。
だってたのしくやれてたころって、そうやってたもんね。

相変わらずやりたいことはよく分からないと言えばよく分からないままだ。
やりたいことがあるひとたちのエンジンになりたい、叶え組の星になりたいとは思うものの、それってどうやってなるんだろうとか。

でもそれが不幸なことだとはもうおもわない。
その瞬間の出たとこ勝負を真摯にやることで、気がついたら積みあがっていたらいいな。なんてことを考えている。

アドラー心理学でいう、ダンスを踊るという表現がしっくりきている。
いま、この瞬間を精いっぱい踊ることで、いつの間にかどこかにたどり着いているんだろうという予感や期待を持てているのはとってもうれしい。

クライアントや講座の同期をふくむ他者の未来をたのしみにするのと同様に、自分の未来にもわくわく感を持ち続けていたいなあ。
たまに、「いまここだよー!」と手を挙げてみたりしたい。

すぐめげたりしょげたりもするんだけど、いまのところはこんな感じでいます。

2020年4月21日現在

3月末時点からまた進展があり、それきっかけで書きかけのこのnoteを投稿しようとおもったわけです。

積んだままにしていた、自分担当のタスク(レコーディング)やれました!!!
(えらそうにいうことではない)

パンドラの箱を開けてくれたこばかなさん、不思議なあたたかさと安心感をめちゃめちゃくれたZaPASSの濱田コーチ、ひたすら話を聞いてくれた同期のみなさまや刺さるアドバイスをくれた講師の小寺さん、ほんとうにありがとうございました...!

そして何よりもこんなふがいない状態の自分を待ってくれてたバンドメンバー、みんなありがとう...!
今後もたのしくやっていけたらいいなあと思ってますのでよろしくお願いします...!

大長編になってしまった!それでは!

ありがとうございます!いただいたサポートは、何かとびきりわくわくすることに使います!