駄菓子屋について いっちょまえに語ってみる

 近頃、本当の駄菓子屋というものを見かけない。
本当とは何じゃらほい? と問われますと、
観光目的、大きなお友達たちに向けて商売している駄菓子屋ではなく、
地域密着型、子供が少ないお小遣いで購入できる食い物が並んでいる菓子屋のことである。

かくいう私も、幼き日、駄菓子屋には世話になったもので、
手持ちの小銭を数えながら、
「ミニカルパスを買ったらコーラのラムネが買えんくなるし、紐あめもやりたい。しかしデカイのに当たる確率は低いからなあ」
などと、いかにバリエーション豊かに、品数多く買えるか頭を悩ましたもんだ。

駄菓子屋は、社会の理、人と生きるための学びの場であった。
私の通っていた駄菓子屋は、おばあさんとおじいさんが経営しており、
店番をするのはいつもどちらか片一方。
二人とも優しくて、仏みたいな人だったら問題ないのだが、
これ、ばあさんの時がいけない。

駄菓子のカップ麺『ブタメン』を買った際、お湯を入れようとすると、
ばあさんは10円摂るのだ。
子供にとって10円ってのはかなり大きい。
うまい棒買えちゃうもの。消費税で実際は買えないけど。麩菓子くらい買える。
じいさんの時は無料でお湯が使い放題。
ポットから立ち込める湯気で顔をほころばせるガキどもを、
慈愛の眼で眺める優しき翁だった。

だもんで、店先から今日の店番がばあさんだとわかると、仲間内で
「おい! 今日ラーメンババアだからやめようぜ」
「まあ、買ったとしてもブタメンは無しだな」
「くそ〜。じい様になんねえかなあ!!」

なんて酷いこと言ったもんだ。
ラーメンババアって呼んだのは誇張。許してちょ。

そいから、
お小遣いをもらうと、ドカンとすぐに使ってしまう私はいつもジリ貧で、
駄菓子の中ではちょっとお高いビッグカツを、いつも買うことができなかった。
財布が豊かな友達が見かねて、ビッグカツをハサミで1.5㎝幅に切って、
「あげるっ」
と一端を卑しい私にくれたことがある。
友人は残りの13.5㎝を悠々貪りながら、1.5㎝幅のビッグカツ、
いやもうリトルカツを、しゃぶるように大事に大事に
口の中で溶かしている私を見下ろしていた。

金に余裕ができた後、自分で一つ買ってビッグカツを食べてみたが、
あの時の1.5㎝幅のビッグカツに勝るうまさを感じることができなかった。
敗北の中のビッグカツというか、わずかばかりのものを
少しでも味わいつくそうとする努力の味だろう。
ありゃあうんまかった。

まあ、そのことで下克上ではないが、
「こんちくちょ〜! いつかでっかいの食ってやるからな!」
とか、
くっ…。実に屈辱的だが、しかし! あれを食えるのだ。心を殺せ!」
などと、無駄に精神を鍛えることができた。


駄菓子屋さんはおろか、
お菓子屋さんってものがどんどん消えているような気がする。

コンビニのお菓子コーナーとか、スーパーのそれとか。
そんな小さな規模でしか、お菓子を見ることができない。
店一面にお菓子が並ぶ高揚感ってのは、大人になってからもあるが、
それは幼い日にそれをふんだんに感じていたからだろう。

夕方に放送するアニメってのも減ったな。
ゴールデンタイムはほとんど、どの局もアニメをやっていた時代が懐かしい。

つまり、子供を売りにする媒体が、どんどん消えていっているのであるだな。
だって、子供がいないんだもの。
そりゃあ、子供向けのものなんて売れやしないよね。

2019年、令和元年の出生数は86 万 4000 人。
30年前の1989年では124万6802人だったんだけどもね。
たまげるなあ。
(厚生労働省調べ)

子供がいなんだったら、子供にかかるもを削減していくのは、まあ当たり前よね。
でもね、子供の部分を削っちまうことって、
それは社会全体を削ることになるってこと、お上は意外とわかってないもんなのよね。
保育所不足とか、教育、保育の人手不足とか。とかとかとかとかエトセトラ…。
そいつはもう、ニュースで日夜取り上げられておりますんで、
皆さん承知でらっしゃるじゃろから、割愛。カツアイ! アイカツ! 
いわばこれも、アイカツだねッ☆

勝手に私が感じる「いい街」ってのがあって。
それは、

道幅が広い、老人が元気、子供が元気。

この3つが揃っていると、住みよい街なんでするるる。
そう思っているんでするるる。

まず「道幅が広い」
これはつまり都心のようなでかい道路もなく、
交通量がさほどなくて、排気ガスにまみれていないってこと。
都心部はやはり便利ではあるが、
人混みも多く、車が常に行き交って心が休まらないでしょ。
そんな街に住んでいると不思議と、
心も排気ガスまみれになってしまうんですよ。あらま。
道幅が広くて、人が悠々と交差でき、
車が通っても、端に寄れる余裕がある、広い道。
これが第一条件。

次に「老人が元気」
こいつはね。老人が元気な街ってのは、坂が少ないんすよ。
坂道って、下るときはテンション上がるけど、
登るときだるだるジャンヌダルク。
急な斜面を登るとき、それは全てゴルゴダの丘です。
ですので、ご老人が闊歩しても、
全く困らない、緩やかな道があることが「老人が元気」な街から伺えるのダ!

最後に「子供が元気」
どんなに寂れた商店街でも、ゴーストタウンに見える街でも、
子供の笑い声が響くと、途端に活気が出るんだよ。
でね、この「子供が元気」な街って、子供が外で積極的に遊べるような環境が
整っている街であって、つまりは子供が遊んでも問題ない「道幅が広い」場所があって、「老人が元気」に闊歩しても平気なほど、急な斜面もない街なんだなこれ。悪い大人がいても「老人が元気」に闊歩しているから、目についてしまうので犯罪も少なく、赤子が泣いていると人生のベテランじじばばがあやしてあげる、なんて光景がザラなのだ。

駄菓子屋が消えるっていうのは、子供が邪険にされているということ。
子供が邪険にされるということは、長い目で見ると
国が邪険にされているってこと。
み〜んなが仲良く、イカの酢漬けを食ったり、当たりくじにいちゃもんつけられたり、ベーゴマや、スーパーボールで遊んで笑う、なんて日が、また来ないかなあ。


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