おい東大、進振りで第10志望の学科に行くことになったんだけど。
はじめに
この記事は、「おい東大、進振りで行けそうな学科2つしかないんだけど。」の続きです。もしこちらの記事を読んでいない方がいらっしゃったら、進振りの概要も説明していますので先にこちらの記事を読んでいただけると流れを理解しやすいと思います。
今日9月20日は東京大学の進振り第二段階の内定者発表が行われる日だ。朝まで友達と通話していたから寝たのは5時くらいだったけど、10時に発表されるということで9時半には起きた。生活習慣ならとっくに壊れている。正直なところ、ワクワクとか不安とか、心が動くような感情は一切なかった。だってどうせ一番行きたかったところには行けないんだもん。僕は完全に拗ねていた。もうどこでもいいや、くらいの気持ちで僕は発表の時刻を待った。
「ちゃんと時間通り起きたくせに興味ないフリしてんじゃねーぞ」って声が聞こえた気もするけど、レスバで負けるつもりはない。ちゃんと起きたのには理由があるのだ。まず、すっごい心配してくれてる母に早く連絡してあげたかったということ。それに、来週の予定を決める必要があったということだ。ふざけたことに、第一段階と第二段階の内定者発表の間は3週間近く空いている。内定者が参加しなきゃいけない各学科のガイダンスの一週間前になってやっと発表があるのだ。ガイダンスの日程は学科ごとに違うから、内定の学科が分からないと予定も立てられない。おい東大、3週間何してたんだよ。頼むよ。第二段階に行った人にも優しくしてくれよ〜。
前回の記事ではすごく簡単にしか進振りのシステムを説明していなかったから、ここで第一段階と第二・三段階のシステムの違いを補足しておこう。第一段階の特徴は「単願である」ということだ。要するに、志望を一つしか書けない。すると滑り止めを書くことができないから、成績と睨めっこして行けそうなところを書く事になる。でも、第二・三段階は違う。幾つでも志望を書くことができる。その中から内定者を決める仕組みは少しややこしいけど、簡単に言えば本当に成績順に行きたいところを選べるって感じだ。僕は成績が悪いので(完全に実力不足)、厳しい戦いになるだろう。あと、学科によっては面接があったり志望理由書の提出が求められる。
さて、僕は第二段階に第10志望まで書いていた。あらかじめ用意されていた枠は10個だったからだけど、本当は志望はいくつ書いてもいい。行けそうだと感じていた2つの学科は滑り止めとして第9志望と第10志望に書いた。この2つだったら僕は当然第9志望の学科に行きたかった。本当は物理の勉強をしたかったから、もっと上の志望に書いた学科にワンチャン内定もらってたらいいなとは思っていた。でも基本的には第9志望の学科に行くつもりだ。ここなら少しやりたい勉強もできるし。心の整理はついていた。800字の志望理由書も一緒に提出したし、不手際はない。大丈夫。
10時になるとインターネット上で自分の内定状況を見ることができる。僕はすぐに更新をかけ、自分のページを見た。そのページでは、表の中に僕が登録した志望学科が上から順に並んでいて、内定が決まった学科の欄が緑色に塗りつぶされる。
僕はすぐ、第10志望の欄に緑を見つけた。あまり余計な感情が湧くこともなく、「なるほど」と納得した。そしてすぐに「あれ?」と思った。
「第9志望のとこ落ちたんだ」
その途端、僕は内定を表す緑が画面の表示よりはるか下にあるような錯覚に陥った。こんなに下だったっけ。自分の東大での成績順の立ち位置は既にある程度受け入れられていた気でいたけど、これには参った。第9志望落ちたんだ。マジかよ。なんだかすごく悲しくて恥ずかしかった。
前回の記事を読んでくださった方に謝罪しなきゃいけないな。
えー、前回の記事のタイトルで行けそうな学科が2つもあるなどと盛ってしまい誠に申し訳ございませんでした。実際は1つだったみたいです。
とりあえず母親に連絡し(父には母経由で報告されるだろう)、三年生になれそうだということを伝えた。母親は僕がどういう学科に行く事になったのかは聞かずに、その学科は僕が希望していたところだったのかを聞きたがったから、少し迷って正直に「第10志望だよ」と伝えた。しばらくして返ってきたメッセージには「決まって良かった!!」と書いてあった。困らせてしまったかもしれない。いい母親である。
さあ、ここから僕の大学生活はどうなるのだろうか。誰にも頼まれていないのに浪人までして大学に入って、両親にお金を払ってもらってやりたくない勉強をする事になるんだろうか。正直、現役で他の大学に入ってやりたい勉強を素直にできたら幸せだったかもしれないと思うことはある。東大は僕には向いていない環境だったのかもしれない。それは、わからない。それに今はもっと現実的な問題も考えなくちゃいけない。第10志望の学科で大学院に行くのか。別の勉強をして大学院でやりたかった物理の勉強をするのか。大学院には行かず就職するのか。まあでも、やってみないとわかんないよね。
生きていくのは難しい。特にこんな競争の中に身を置いては。僕が辛い時に心がけていることは、「素朴でいる」ということだ。カッコつけない。あと何年生きるつもりなんだ。こんな失敗も全部食べて大きくなるんだ。飲み込んでしまえば僕の体が勝手に上手いことしてくれるはず。だから素朴でいよう。
noteのプロフィールにも書いてるけど、僕はハイゼンベルグというすごい物理学者に憧れて、彼のようになりたかった。でも、どうやらそこまでの道はまっすぐじゃないみたいだ。進振りが僕に現実を見させた。それは、とても苦しい時間だった。でも、進振りのために色んなガイダンスに参加したり調べ物をするうちに、僕には物理学者以外の道もあるように思えてきた。逃げているだけかもしれない。仮に逃げだったとしてもそれでいいのかもしれない。大事なのは行き先じゃなくてここにある熱だ、なんて。僕は田舎の実家に帰省した1ヶ月間、ずっとこんなことを考えていた。かつて物理学者になる夢を目指した部屋で夢を諦めることを考えるのは苦しかった。あの頃の熱はまだ僕の中にあるのだろうか。ただひたすらに苦しくて、そういえばあの頃も苦しかったな、なんて思い出したりもした。きっと夢を追いかけるのが下手くそなんだろう。憧れた未来に縋らなくても、ただここにある今日を生きていける人に生まれたかった。
もしかすると僕はこれから他の何かを目指す事になるかもしれない。でも、それでも、僕は物理学者に憧れた時間を大切にしたいと思う。なかった事にはしない。だからこそもう一度言う。
僕は本当に、ハイゼンベルグになりたかった。