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Paris 6

 煙草を巻きながら螺旋階段を降りると、その先にある重厚なオートロックの扉のドアノブを塞がった両手のうちの片方の薬指と小指を使って捻り、そのまま体ごと寄りかかるようにして開いた。深夜のフロントロビーの静けさは、今しがた通ってきたばかりの通路となんら変わりはなかった。今夜は酒盛りをする宿泊客もいないのだろう。身体の奥底や神経の部分に疲労を覚えつつも深まる夜に微かな胸の高鳴りを感じ始めていた私は、それに果たしてホッとしたのか、残念に感じたのか、定かではない。無人のレセプション前を抜けると、そのまま屋外へと出た。橙に照らされたパリの街路は、冷え込んでその黒がよりいっそう際立った。

 ホステルの入り口の前で、立て続けに二本、煙草を吸った。一本目を終えて二本目を巻いているとき、中年に差し掛かろうかという年頃のパリジャンと、それよりも五つか六つほど若いであろうパリジェンヌが、腕を組みながら目の前の街路を東に抜けていった。すでに何度かの逢瀬を経た男女が醸し出す、ある種の中長期的な安定期を楽しむための二人部屋の鍵を手にしたばかりのような親密さが、二人の揃った足並みや穏やかな雰囲気から、数メートルを隔てたこちらに伝わった。今この瞬間、冷えた夜の街路を温かい家へと急ぐ彼らのような二人が、欧州中に数えきれないほど存在しているのだろう。二本目の煙草を灰皿で揉み消して、私は中へと戻った。

 入り口のブザーを私が鳴らしたのを聞いてオートロックを解除してくれた人物が、レセプションで笑顔で待っていた。ヴィンテージ・パリで夜勤のフロントスタッフをしているマーチンだった。「ビールで良いよな」と言うと、彼はいつものように売り物の瓶ビールを二本取り出し、栓を開けてその一本を私に手渡した。「今夜は暇そうだよ」と退屈しつつもそれが嬉しいことでもあるといった口ぶりで、彼はレセプションの脇にかけてある二本のギターのうち、クラシックギターの方を手に取った。必然的に私はアコースティックギターの方を受け取ると、チューニングを直し始めた。

続く

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