言わなきゃいけない言葉が決まってる人

「川下さんって実はそんなに人とランチ行くの好きじゃないでしょ」
同僚から急に言われた。
私が同化しないのを責めているという話ではなく、単純に確認するような人だし、そういう間柄だと思っているので「せやな…」と心の中で呟きながら、特に考えることもなく「正直気分とタイミングですね。」と返信した。

その時には仕事が詰まっていたので何も考えずに仕事を続けていたけど、帰宅しながらあの人鋭いな…と考えて、本当に私は人とランチが嫌いなのか?とも思う。結論は人によるでしかないのだけど。

コロナ後の入社も関係あるのか同僚と飲みに行った経験は両手の数くらいで、新人が来ると歓迎と交流を示すために何度かランチに行く。
そこでは同じような会話と、特定の人が意識が高くないようにふるまいながら意識の高い話をしていて、他人の話が終われば適当な話題を振ったり、隣の席の他人の会社の愚痴や世間話を聞きながら過ごしている。
じゃあランチは一人がいい?というとそういうこともなく、積極的に誘う人や誘われると100%行く人は決まっている。
仲のいい同期、尊敬する先輩、話してみたかった人等、数か月に1回くらいの頻度で50分ほど喋りながら美味しいものを食べる。丁度いい。
そういう人とランチは、最後に出る珈琲をのみながら「戻りたくない~~」と愚痴りながらもスッキリするし、午後もやってくか~って気持ちになれる。
とはいえ最近は、行く断るの確率をもう少し考えないとな…と思っていた矢先の今日の件だった。

単純に私の好みの話でしかないのだけど、断る人はどういう人なんだろう。性別や年齢は関係なくて、それは言わなきゃいけない言葉が決まっている人なんだと思った。
会社には考え方が結構違う人がいて、それは面白いし社会に出る醍醐味だと思ってたんだけど、この世には自分の常識外の人を許せない人がいるんだなと驚いた。
そして「許せない」人への関心が親を殺されたんか?っていうレベルに強い。
交友関係や経歴なんでも調べる、少し仕事がしにくくなるような嫌がらせをする、陰口専用の名前を付ける…これいじめじゃん。
私は意地でも悪口には乗らないけど、ランチに誘われるたびに、断るたびに、話題を変えようとピエロになってその人たちからコンテンツとして消費されるたびに、パズルみたいな会話を外すたびに、顔に出さないようにしながら少しずつ不安になる。
一緒に行ってる人は楽しいのか?悪口でしか繋がれない人たちが、それでも人との繋がりや会話を強く求める人たちが沢山いることが少し怖い。

なんでこんなことになっちゃうのかな~
ランチに行きたくない人の喋る陰口に賛同したり笑ってる人って一部で、しかもその人の指示を受ける側の人たちばっかりだな。。。こういう風に虚構の都合のいい、もっと小さい社会ができあがるんだな~
仕事も楽しいし、その人たち以外は大好きなんだけどな~ここに目をつぶっておくべき?
でも書き出してみるとやばい人って一部だけって分かったし、多様性のためにいる方々として心の壁を高く厚くしながら関わっていくしかないか。

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